今の社会の風潮として
誰かのために自分を犠牲にすることが
美しくされ過ぎているな
と感じることがあります


「誰かのために」自分にできることをする
思いやりの気持ちはとても大事で
それによって成り立つことも沢山ありますし
その優しい心遣いが人を救うこともありますが

この時大切なのは
敢えて他人のために
自分が苦しいところまで踏み込む、受け渡す
というところとの線引きだと思うんです


「誰かのために」「他の人のために」
ってすごく素敵な響きで
それだけで美しいものに聞こえます

実際とても素敵な気持ちだとも思っています

でもそれが
誰かの何かを殺すことになってしまうのなら
本来あるべき姿と違うのではないかとも思うんです


自分のことを大切にしていいんですよね

ただその時
どこかで誰かが理不尽に傷つくようなことが
あってはいけないだけで


自分の器量を超えたところまで
他人に気遣いをし続けていると
人はいつか疲弊してしまいます

そして、そうして疲弊した人に
社会はなかなか冷たかったりもします

自己責任論もまた
同じように世の中に横たわっているからです


自分を『犠牲』にすることは
別に美しいことではないと思うんです

自分を大切にする中で
できる気遣いをできる限りすれば
それで十分だと、今の私は思います


自分であれ、他人であれ
誰かの傷の上で成り立ったものは
美しいばかりではないのではないでしょうか?