昔から『いい子』であることを
半ば強制されてきたような感覚を持ってきて
何が私にそう感じさせたのか
最近になって少しずつ答えが
見えてきた気がしていて
あぁ私は
正しいこと以外は間違いだ
というこの言われ方に追いやられてきたんだな、と
コツコツ真面目に努力することは
とても素敵な事で、得ることが多いのは
私もよく知っていますが
そうでないことはいけないことだというような
そういう言葉がセットで与えられてきて
私は周りの大人の『正しい』が
全て正解だと疑う余地もなかったのだな…と
いい子であれば褒められる、と
いい子でなければ否定される、が
同時に並んできたから
私はそうだと受け止めてきたから
褒められる事実に固執してきたのだな
と今は思っています
そして自分の感覚の中にも
そういう価値観は横たわっていて
ついそうして話をしてしまうな
ということにも最近気が付き
見直さなければなと思い始めました
そして自分の息苦しさの所以を理解し
少しだけ心が楽にもなりました
そして最近、それに気がついてから
そんな周りの大人のことが
少しだけ嫌いになってしまいそうでした
言葉選びが凄く気にかかってしまって
胸の奥がチクチクしてしまって
今はその感情との付き合い方や
折り合いの付け方を探しているところです
正解はひとつじゃない
こう思う人もいれば、違う人もいる
これもあれば、あれもある
その中で自分の大切にしたいものを
大切にすれば良くて
それを他人の価値観を否定する
根拠にしてはいけない
『多様性』の言葉の意味の
今までよりはもうほんの少し深くに
触れられたかなと思います
私は私が大切だと思うものを大切にすればいいし
それを『それは違う』と言われても
「あなたはそう思うのね」と言えるように
なっていければそれでいいんだな
と思えるようになりました
最近は少しずつ自分を肯定してあげられるように
なってきています
私は私でちゃんと前に進めているから大丈夫よ
と今なら言ってあげられる気がします