最近、
自分のルーツについて考えることが増えました
自分が当たり前のことだと思いながら
享受してきたことだとか
根付いた感覚や価値観だとかに
「私はどうして今こうしているのだろう?」
「どうしてそう思うのだろう?」という風に
自分自身に疑問を持つようになったというか
ある意味理由の後付けみたいなところも
否めないのですが…
それでも、自分の中の凝り固まったものを
もう一度疑問に感じる感覚は
悪いことではないかなとも思っています
今丁度大学の勉強で
繰り返し目にして、耳にしている
人は現在に辿り着くまでの様々な経験で出来ている
というような考え方を
私は凄くいいなと感じています
今ここにいるこの人は
今まで生きてきた時間の上に出来上がっている
と思うと
どうしてこの人がここに辿り着いたのか
という視点がひとつ生まれて
人を点ではなくて
流れの中で見ることが出来る気がします
それを自分に反映してみると
私が今どうしてそう感じるのか
答え合わせができる気がして
そうすると
それがポジティブなことであれば
それをしてきた自分自身を褒めてあげられたり
してきてくれた周りの人への感謝に
改めて気付かされるきっかけになったり
それがネガティブなことであれば
見つかった理由を踏まえた上で
リカバリーが考えられたり
「それならまあ仕方ないね」と
自分に言ってあげられたり
今のところいい方に作用している気がします
私はなにで出来上がってきたのかなぁ
って考えてみるのって
意外と面白いですよ