新しいアルバイトを始めてから

自分が思っていたよりは
社会で人材としてきちんと扱ってもらえる
ということに
少しずつ自信を取り戻し始めていますが

同時に『やっぱり障害がある』という部分の
理解を求めることの難しさも経験しています


今お世話になっている職場は、有難いことに
障害に対して理解しようとして下さる気持ちが
とても強く伝わるあたたかい場所で

勤め始めた頃から
困ることはきちんと伝えれば
配慮を考えていただけているので
本当に恵まれているのですが…


私は基本的な作業はある意味人並みには可能なので
障害ゆえ極端に凹とへこんでいる部分は
周りから見ると『努力で埋められる』ように
どうしても、映りやすいです

それはもうどこへ行っても
経験してきていることなので
自分でも理解しています


でもそれらの凹は
私にとっては能力的に難しいことなので
思うようにいかない…
やりたい気持ちはあってもなかなかできない…


となった時に
それがどうして出来ないのか
どうして難しく感じるのか
どうなればできるのか…
どうしても出来ないから
代案を検討して欲しいのか…

それが『できない』感覚を
日常の中で持ち合わせていない人に対して
理解して貰えるように言葉で伝えた上で
配慮をお願いしなければいけません


『できない』事実があった時
ただ「これは私にはできません」とだけ伝えても
それは『できない』ことを「できない」と
言っているだけになってしまうじゃないですか

みんな得手不得手がある中で仕事していて
少なからず苦手を努力で埋めながら
やられている方もいらっしゃると思うので…

お金を頂いている以上
業務として必要なことを
「私にはできません!」と投げる形では
無責任になってしまいます


そういう時の私の『できない』は
…この言い方は誤解を生みそうですが
ある意味健常の方の『できない』とは
タイプというか、本質が違うんです

でもそんなことは
外側からは分かりっこないのだから
私が伝わるように説明するしかなくて
そのためには私が自分自身で
理由を明確に捕まえなければいけません

それがすごく難しい


例えばですが

視力0.1の人に対して
1メートル向こうにある
教科書の字を読んでください
と課題があったとします

勿論裸眼でそれは難しいと思います
私も目が悪いですが、とても見えないです

でもその教科書を読むことは
この課題をする上で欠くことはできません

文字が書いてあるのは見えるんでしょう?
だったら読めるはず
…と言われても
この状態で見えないものは見えないです

目が悪い人にとって
視力という能力的にはそれが限界だから

その時に
メガネをかけたら?
その教科書にもっと近づいたら?

今この状態では見えなくても
条件を整えれば『教科書を読む』ことは
可能かもしれません


この場合は「目が悪い」という人は
世の中に割と多くいらっしゃるので
難しさに共感してもらいやすいですが

私が仕事中に体験する『できない』は
健常であれば経験することがないであろうことが
とても多いので
こんな風に説明するのも
簡単でないことが多かったり

そもそも自分でも
何で出来ないか
人に説明出来るほどわかっていない場合は
そこを探すところからなのでもっと大変です


理解を示してくださる人がいる時でも
その『理解』に繋げるまでの難しさを
身をもって経験しています

障害への理解って
お互いのきもちだけの問題じゃないなぁ、と

障害者の側も
理解してもらうための伝え方を上手に捕まえないと
得られるはずの理解が
理解に繋がらないこともあるんですね

益々難しい問題です


それでも今こうして考えて、試している経験が
これから生きていく中できっと役に立つので
悪戦苦闘しながらでも
見つけていきたいと思います

頑張るぞー!!