我が家の母方家系は
祖母がとてもとても真面目な人なので
育てられてきた下の人たちも順々に
真面目な人が多いのですが
真面目過ぎるあまり
『こうであるべき』に固執しているところも
見受けられます
例に漏れず私もそういう節がある自覚があります
私自身も、母や叔父も
成長過程で親からの『こうあるべき』に
苦しんできた部分は少なからずあるのですが
そうして育ってきたからこそ
自分に対しても、周りに対しても
『こうあるべき』に
こだわってしまう部分もあったりして
だから母方の親戚で集まると必ず
祖母、母、叔父で様々な討論会が始まります(笑)
それぞれが持つ『こうあるべき』が
べきのまま変化しないため
永遠に着地点が見つからない討論会は
もはや親族の恒例行事で
開催中はほかの人たちは居間で
テレビを見て終了を待っているのもまた恒例です
そんな様子を見ていて思うのは
それぞれ持っている意見の
どれも間違ったものではなくて
ただ『それもあれば、これもある』というだけ
色々な人が、色々な価値観で
色々な意見を持っているんです
本当に人それぞれ
同じ人に育てられてきて
同じ基盤で育っていても
それだけ議論になるのだから
全くの他人なんてもっともっと違います
自分の信じる『正しい』が
イコール世での正しいにはなりません
逆に正しいことが正義にならないこともあります
自分が正しいと思うかどうかだけ
私も自分に厳しくいたいと思いすぎるあまり
他人にも厳しくなってしまうことがあります
自分は自分、他人は他人
私が思うか、思わないか
答えはそれだけではないことを
忘れないでいたいなと
そんな自分だから尚更思います
忘れちゃいけませんね