『親の顔が見てみたいわ』
って言葉があるじゃないですか
生きてきて
他人から直接その言葉を浴びたことは
今のところ経験がありませんが
両親からは
特に食事作法の時には繰り返し
きちんと食事出来ないって言うことは
この子は家で
お父さんお母さんに教えて貰ってないんだな
このお家はそういうお家なんだな
って思われるんだよ
りんごだけのことじゃないんだよ
と言われてきました
自分の行いで親の育て方にまで目が向くんだ
という意識は私の中で何度も芽生え
また他人を見ていて
私自身が他人に対して
この人はこういうことを
教えて貰ってこなかったのだろうか
と思ったことも何度かありました
挨拶が出来るかどうか
感謝や謝罪がきちんと言えるか
必要な場所で適切な言葉遣いが出来るかどうか
基本の礼節が身についているか
人の話をきちんと聞けるか
分からないことは聞けるか、…
自分がそれを然るべき場所で出来るかどうかで
普段親がそれを家庭でさせているかどうかが
見られているのだと
そういう意味で気を張って他人と関わる場面は
今でも幾らかあります
初対面なんて最たるものです
結果的に「きちんとしてるね」や
「育ちがいいのね」と言ってもらえる機会にも
有難いことに恵まれてきたので
出来るように育ててもらってきたことには
とても感謝していますが
じゃあ私は他人に目を向ける時
その目線が果たして正しいのか
最近疑問に思うんです
個人的には
それらに生育環境の差は勿論関われど
ある程度の社会経験を経て30歳を過ぎたら
そこから先の個人の能力は
全て本人の意識で、自己責任だと思っているので
この疑問は子どもや
同年代の人に対するものになりますが…
教えてもらわなきゃ出来ないのだから
出来ていないことが気にかかったら
こうした方がいいと思うよ、と伝えればいいのは
勿論そうなのですが
自分がそう言われて育ってきたので
先入観にそういう意識が滑り込んできます
この人は家で
そういうことを教えて貰ってこなかったのかな…
が親御さんたちのプレッシャーになっている現実も
恥ずかしながら最近になって気が付いたので
自分のこの先入観は間違っているのかな
と思うようになりました
今目の前である事実以上の背景を
穿って見ている自分に気が付いて…
最近そこの修正に努めているところです
もし自分が子育てする機会に恵まれたら
自分の子どもにはなんて伝えるのがいいのかな
出来て得をする場面はたくさんあるけど
損をすることは絶対ないよ…かな?