自分がどんなに善意を持ってとった行動でも
人が「行動する」ということには
必ず肯定と否定の両方が存在すると思うんです

それが主体者にとって
正当性のあるものかどうか
理不尽なものでないか
振り分ければキリがないけれど
少なくとも『肯定』『否定』の存在が
両立はすると思っています

それは世の中に色々な人がいるから
考え方も価値観も皆少しずつ違うから
そしてそこに色々な感情も絡むから


これに合わせて
「良かれと思って」の話をしたいのですが

私も人に良かれと思って
自分なりに行動を取る事があります

それは私の中では間違いなく『善意』で
人に対して不快感を植え付けるつもりは
全くもってないのですが

受け取る側がどう受け取るかは
私には分からないですし
私が強要出来るものでもありません

善意を否定される時
善意に水をさされたような気分になって
なんだよ、と思うこともあります
相手に否定的な感情を持つことも

でも…じゃあ私の善意は果たして
『正解』で『正義』なのか?

それもまた判断できるものでもありません


否定が全て『悪』とは限らないけれど
『悪意』だけを持って
とにかく否定されることもあります

どちらもあるから一概には言えないけれど

結局それと折り合いをつけるには
冒頭の「肯定と否定の両立」を
きちんと理解しているしかないのかなと


批判や非難の態度が
人に対してどんな感情を与えるのか
理解した上でそれらを伝えたいなと思いますし

自分の善意が正義だとは限らないことを
忘れたくないなとも思います


自分の信じる正解を
ちゃんと自分で握りしめていたいな
とは思うけれど
それに疑問を感じられる感性も
同時に持っていられる私でいたいなと思います