彼とお付き合いしてきた1年半近くの中で
私の恋愛観は少しずつ形を変えてきました


以前もブログに書いた通り
今思い返せば
抜け落ちた自己肯定感を埋めるための恋愛を
繰り返してきてしまった私は

相手を一人の人として見るより前に
求める恋人であって欲しいと
どこかで押し付けがましい感情を
向けてしまっていたのだと思います

俺の事本当に好きなの?
と、お決まりのように投げかけられていた言葉の
意味に気がつくまでに、何人も
理不尽に傷つけてきてしまったのだと思います

それに関しては今は反省することしか出来ないし
貴重な経験をさせてもらったことに感謝しつつ
これから側にいてくれる人に
真摯に向き合っていく以外にないのですが…


今の私の恋愛に対するテーマというか
自分に対する表題は

私のことを愛してくれないなら要らないわ
…です


まず一番初めに
自己肯定感は他人は
埋めてはくれないことに気が付きました
埋められないのだ、とも

自分を好きになるためには
自分が好きになれる自分になるしかないし
恋人は劣等感を埋めるための存在ではない

そこを履き違えると
大事なものを見失ってしまうと
沢山痛い目を見て学んできました

そして、それだけの自信がないと
自己主張が出来ないこともまた学びました

相手の望む自分にはなれないし
なってもいけないんですよね

私を大切にするのは最後は私で
大切なものを守るためには
訴えられる強さも必要です


そして、私の伝えることを無下にする人に
わざわざ私の人生のうちの貴重な時間を
共有させる価値はないことを知りました

自分の人生を価値あるものにするために
私の“大切”を粗末にする人とは
どんな人とだって線を引かなければいけないように
そこを歪めてまで人と一緒にいることは
人生において有益なことには殆どならないと
私は思います


相手が別の人間だから
違う価値観を持っている前提は勿論理解した上で
それをわざわざ否定する人と
一緒にいなくてもいい

だって恋愛は結婚と違って
責任を伴わないのだから

自分の価値を下げるような恋愛が
生み出すものはとても貧弱だな、と
今までの経験を踏まえて思います


相手に対してリスペクトがあって
相手に対して優しくありたい気持ちがあって
それを前提に言動を選べたら

時にぶつかることがあっても
日々見えるそういう優しさで
その人と一緒にいることの意味は
見失わずにいられるんじゃないかなと思います
 
縛って、執着しても
我慢の上で成り立つ関係が
長期的に見た時に何を生むかと考えたら
私は疑問を感じます

好きなことをすればいい
日常に優しさが散らばって見えたらそれでいい
嫌なら嫌だと言えて
やめてもらえればそれ以上何も引きずらない

確かに愛されていると私自身が思えれば
相手が感じられていたらそれでいい

そう思えない不健全な関係なら
自分の為に離れる選択をするのも大切


きっと私は恋愛に関しては
「あなたじゃなくちゃ…!」と言えるほど
純粋な気持ちを抱えていられなくて
ある意味冷たく割り切っているのだと思います

恋愛より大切なものも
今の私はちゃんと持っているので


でも、彼と今もこうして一緒にいられているのは
彼と過ごしてきた時間の中で
私は確かに愛されてきたと思えたこと、
彼を大切にしたいと手放しで思えること、
自分の中で“恋愛”というものに
向き合おうとしてこれたこと…

そしてやっぱり
一緒にいることを居心地よく思える
素敵な人と縁あって一緒にいられていること
かなぁと思います