学生が「最近、自分の考えを言葉にするのが下手になった」と言っていたので、「考えが前より複雑になって、自分の言葉がそれに追いつかなくなったのかもしれないよ」と伝えておいた。気休めのつもりは全然なくて、その可能性はとても高いと思っている。
自分の頭の中を言語化するのが難しいと感じるようになった時が、「考える」という作業の本当の始まりなのだろうと思うし、そもそも「考える」という作業の大半は、「言葉を探すこと」からできている。(@TamasakaTomozo )
先日見かけて
「なるほどな」と思ったツイートです
自分の感情を
適切に言い表す言葉が見つからない時は
私もよくあります
それは自分の考えを客観視して
分解して、それに対して言葉を選ぶ
という作業がスムーズにいっていない時で
そもそも自分の手持ちの言葉に
それを説明する言葉がないことも
きっとあるのだと思います
日本語に絞っても山ほど言葉が存在して
そのうち私が認知しているのは
ほんの少しのものだと思います
でも、もし言葉の数が増えたとしても
それを誰にでもわかるように伝えるには
やっぱり選ぶ作業が必要で
難しい言葉を多用すればいいものでもないですし
そうすると言い回しもとっても大切なのかな、と
じゃあそれをどこから吸収するかと言えば
自分が「この言葉選びは秀逸だな」と思う人から
盗んで、自分で使う中でアレンジしていくのが
一番早くて現実的なのかな、とか
でも、そもそもこの悩みって
“考えようとする”人じゃないと
当たらない壁だと思うんです
人に伝えたいと思う気持ちや意識がある人は
だんだんと言葉が
洗練されていくような気がしています
それも大人になるために必要な過程なのかな
自分の気持ちを
感情通りに他人に伝えようとすると
ついつい言葉が増えてしまいます
その想像を相手に投げられるほどは
今の私には勇気がなくて
できることなら
やっぱり意図通りに伝わって欲しいと
思ってしまいます
考える、言葉を選ぶ、伝える
きっと永遠の課題です