スマートフォンの普及に伴って
SNSがより身近なツールになり
匿名でやり取りすることもまた
身近なことになりましたよね
私もブログはじめ
Twitter、Instagram等
匿名でやり取りするツールを
幾つか利用していますが
そういう場所にいるとますます
世の中には色々な人がいるなぁ
と思います
私は韓国のアイドルが好きなのですが
最近私が好きで応援してきたアイドルの子たちが
相次いでこの世を去ってしまったり
精神疾患の公表が続いたり
それに伴ってSNSへの悪質コメントに対して
厳しい批判が集まっています
アイドルだから、有名人だから
批判を受けるのは仕方ない
という意見もチラホラ見かけますが
画面の向こう側にいる彼ら、彼女らが
生身の人間であることには
何の変わりもないはずなのに
彼ら、彼女らが人前に立って
人々の注目を集める職業であるというだけで
傷ついている事実を封じ込められてしまうのって
本当に仕方ないの言葉で済むのかな
と私は疑問に感じてしまいます
そうでなくても
画面の向こう側にいるのが
感情を持った人間である以上
言葉を選ばなくちゃいけないのは
現実世界と何ら変わりないはずなのにな
なぜ、
画面越しで顔が見えないって
ただそれだけで
そんなことが出来てしまうんだろう
とあるアイドルの子が
そうした悪質コメントに対して
「本当につらい…誰かが助けて欲しい」
というような旨の文章を
インスタグラムに投稿したことが
ネットニュースの記事にあがっていた時
そのツイートのリプライに
『そんなの気にしなければいいのに』
と書いてあったのを見て
正直私は想像力が欠けているなと感じました
元気な時には流せても
自分が疲れて、苦しい時は
同じ言葉が10倍の威力で刺さることもあります
その子はうつ病とパニック障害で
活動休止を公表したばかりでした
自分の気持ちが疲れきっている時
自分に理不尽に傷をつけるような言葉が
いくつも、幾つも目に入ったら
きっと私だって
同じように感じてしまうと思います
受け取る側が気にしなければいいのに
じゃなくて
書き込む側がもっとちゃんと考えようよ
でなくちゃいけないんじゃないの?と思います
理不尽に傷つけられている側に
外側が強くなることを求めちゃいけないんだよ
理不尽に傷つける行為が間違いなく悪なのだから
色々な人が手軽に、フェアに
議論できるツールだからこそ
モラルを守らなくちゃいけないなと感じます
どこで、誰の目につくか分からないのだから
自分が言われたら
自分が同じ立場なら
想像力が必要なのは
どの場面も同じなはずだもの