我が家の父方の親族は医療関係者の多くて

祖母は早くに亡くなったので
あまり話を聞いたことがありませんが…

祖父が医師、
祖母の兄も医師、
その子ども四兄弟は
上の男性二人が医師
下の女性二人が看護師と鍼灸師


そんな関係もあって
父は医者をと期待されていた時期も
あったそうですが…

父本人から聞くに
父は特別勉強の出来る方ではなかったそうで
医者の息子が、と
皮肉のように言われたこともあったそうです

以前実家の荷物から
父の小学校時代の通知表を見つけて
見せてもらったことがありますが
確かに私が見ても
優等生というには疑問が残りそうだったかも…

でも受験を意識する時期になった時
自分で危機感を覚えて猛勉強し
最終的に大学院まで卒業しているので
私は父のそういう感覚はとても尊敬しています


母は話を聞くと
『絵に描いた優等生』だったようで
勉強にはそんなに苦労してこなかったようです

数学だけは手も足も出なかったというのだけは
私の数学の成績を見てよく聞きましたが(笑)


ただ、だから私が高校受験の時

成績が伸び悩んで苦しかった時に
勉強法を提案してくれたり
自分が体験した時の話を聞いて
響いたのは父の方でした


俺はやらなくちゃ出来ないからやった

塾でも、模試でも
どんな手段を使っても最後は結果が全てだ

そのくらい出してやる金はある
必要なものは使えばいい


当時の私にとって高校受験は
半分は母への反骨精神でした

だから余計に父を頼った部分も
あったのかもしれませんが

高校受験の時
あれだけ親身になってくれた父の姿があるから
なんだかんだ最終的には
父を親として慕っていられるのかもしれません


私は母のように
前に立って人を動かすような力を持っていないし
声を上げて鼓舞も、抗議もなかなかできなかったし
勉強もコツコツやり続けて
なんとか褒めてもらえる位置にいられた人間でした

人見知りで
人の後ろで黙々と作業しているタイプだし
少し強く当られるとクヨクヨしてしまいます

そんなのちょっとこうすればできるじゃん、と
当たり前のようにいう母の言葉に
どうにもできなくて
そのくせ死ぬほど負けず嫌いな私は
散々悔しい思いもしました


母と私は違う、と
必死だったあの頃がとても懐かしいです


寒い時期になると
泣きながら勉強机に齧り付いていた私を
コンビニへ連れ出して
馬鹿の一つ覚えのように(笑)
当時私が好きだった肉まんとメロンパンを
ローテーションで買ってくれた父を思い出します

苦しかった受験生活も
病気が辛くて仕方なかった時期も
いつも息が白い季節でした

「散歩行くか?」と言って
ムクムクに着込んだ二人で並んで
おしゃべりしながら歩きました

ああして散歩するようになって
小さい頃から怖くて仕方なかった父が
思ったより自分のことを考えていてくれたのかも
と初めて気が付きました


懐かしいな
何度だって思い出しちゃうな

私が劣等感に埋もれている時
劣等感に共感してくれたのは
父の方だったかも知れません