小さい頃から
泣いて縋って何かを欲しがった覚えがない
ダメと言われたらダメだと思って
欲しくても我慢して納得した
泣いて縋ったところで通らないことを
理解していたのも大きかったと思う
欲がなかったわけではないけれど
ワガママを言ってまで
手に入れたいと思わなかった
悔しくて泣いたことはあっても
泣いたまま我慢した
そういうところでは
聞き分けのいい手のかからない子供だったと思う
今でも他の人が「欲しい!」と言って
敵意を向けられるようなことがあれば
そんなに言うならいいよ、と
先に差し出してしまう
それが手放すのが惜しいものだったとしても
争いごとやいざこざになるくらいなら
私はいいからどうぞ貴方に、って思う
駄々をこねるのも馬鹿馬鹿しくなってしまう
そういうところは極端なほど弱い
譲っちゃいけないところまで譲ってしまう
素直に「欲しい」って言えばいいものを
何故そのひとことが素直に言えないのかは
私自身でもよく分からないけれど
物には基本的に執着はない
だいたいの物は替えが効く
人にも、執着したい気持ちはあるけれど
折り合いが付かなければ手を離しちゃう
話ができない相手と
話をしたいと求め続けても疲れてしまうことを
変に学習してしまった
自分の中で
誰にも侵されない不動のものを持てていれば
またそれなりのものが手にできるとも思ってる
本当は不安で潰れそうだけど
たまに潰れちゃってるけど
手放すことになっても私は立っていられる
と、余裕を持っていたいなとは思ってるけど
そんなことを繰り返しているうちに
いつか本当に大切なものを手放してしまいそうで
ちょっと怖い
…嘘、本当はすっごくすっごく怖い