自分が病気になって気がついたことなのですが
病気を抱えていると
その症状と同じくらいに
病気であることで生じる生活の不便さも
大変なことなんですよね
生活は毎日のことです
ひとつひとつの問題は
何とかなりそうことに感じても
その小さな問題が積み重なった中で
日常生活を送っていかなければいけない
というのは、本当に大変です
例えば
調子が悪くなったら休めばいいよ
というのも
いつ調子が悪くなるか分からない
ということは
調子が悪い時にどんな状況か分からない
ということでもあります
そこが満員電車だったら?
座りたくても私の病気は外からは見えません
もし座れたとしても
その箱に乗り続けていれば
知らない場所まで連れて行かれてしまうので
また立ち上がって、降りなければいけません
電車を降りてどうする?
降りただけではどうしようもありません
家へ帰る?
目的地へ辿り着けばなんとかなる?
頼れる人に引渡してもらう?
何にせよ動かなくちゃ
誰かの手を借りなくちゃいけないかも
誰に?誰なら手を貸してくれる?
自分で声をかけてお願いする作業も
実は心にも体にもしんどいことです
ひと口に「休む」と言っても
例えばそれが大事な試験中だったら?
人相手の仕事中だったら?
簡単に“休む”選択ができる?
でも無理したらどうなる?
日常生活の全てがこんなことばかりです
健康な人にとっては当たり前の作業も
私にとっては沢山のリスクが潜んだことで
ある意味リスクを覚悟の上動くことが
当たり前になってきます
世の中優しい人はたくさんいらっしゃいますが
全ての人が優しい人とは限らないのが
残念ながら現状です
でも、だからって
どこまでもは生活の幅を狭められない
どこまでは我慢して、諦める?
病気の症状ももちろん苦しいものです
だけど、そうして
何をするにもリスクと資源を洗い出して
万が一のための対処を
検討するステップを踏んで
やるか、やらないか選択することは
それ以上にしんどいかもしれません
そういう意味でも
生きづらさ、なんだなぁと
生きづらさを抱えながら生きるって
やっぱり難しいことです