この間おばさんと話をしている時に
○○さん家(お母さんの実家の家系)は
清く正しく美しくっていう発想になりがちだけど
私はその感覚がないから分からないんだよね
と言われまして
確かに…おっしゃる通り
おばあちゃんも、私のお母さんも
おばさんの旦那さんに当たるおじさんも
そしてそれを色濃く受け継いでいる私も多分
清く正しく美しくあることを求めて
生きているタイプだし
そうであるよう教えられてきたのだと思います
おばさんは
私のお母さんの実家に嫁いできた身なので
おばさんが育ってきた環境は
当たり前にその家庭家系とは違います
やりたいことはやって
遊ぶ中からたくさん経験して
うまくいかなかったことから学習して…
他人に迷惑をかけることでなければ
やればいいじゃないか、という考え方の人
でも、周りの人の気遣いはとても上手だし
相手の考えに対して
違うと思う、とは言えど
否定したりはしないし
人を嫌な気持ちにさせるようなことはしない
私はおばさんの考え方、とても好きです
極端に言えば
いわゆる“優等生”を模範像とする考えが強い
お母さん家系は
なんだかんだで
社会の規律の理想を求められているところは
確かにあります
勉強はやるのが当たり前、
できなくてもいいとはいいながら
できた方がいい前提は強く、
何事もサボらず真面目に一生懸命に、
そして人からどう見えるかの意識が強い
どれもできるに越したことはないし
どれも間違っていない
これが良くないと言いたいわけでもない
ただ、それ故に
窮屈さを感じてきたことは確かにあります
私たちの当たり前から考えたら
おばさんの当たり前がゆるく感じる部分も
やっぱりありますし
きっと逆もあるんだろうな
だけど、おばさんの意見は
私も理屈としては全面賛成です
自分の根っこにあるものが深くて
簡単に実行が伴わないだけ
全力で遊ぶことで学ぶこともあるし
ほどほどの方がうまくいくこともあるし
勉強できなくたって
集団からはみ出すとこがあったって
自分が楽しめればなんだかんだ生きていける
自分の当たり前が
周りの人の当たり前じゃない
ふとしたひと言になんだか考えさせられます…