先日、おばあちゃんと
一緒におでかけしている時に
そういえばこの間
友達のお姉ちゃんが結婚したんだって
国際結婚で
今は旦那さんとフランスにいるんだってよ

と、たまたまそんな話をしたところ
おばあちゃんは“国際結婚”というワードに
あまりいい印象を持たなかった様子で
『うーん…』と微妙な顔をしていました
あぁそうか
人の行き来も、情報の行き来も
随分手軽で抵抗感の低いものとして
認識できるようになってきた
今の私たちにとって“国際結婚”は
特別珍しい話ではなくなってきたけれど
おばあちゃん達の世代では
“国際結婚”は特殊な話で
受け付けづらいものなんだな、と
同じ現代を生きているけれど
自分とは別の“当たり前”の中を生きてきた
別の世代の人たちと認識がズレることの
典型的な例を目の当たりにした気がしました
昔の方が寛容的だったこと
今の方が多様性が尊重されること
それぞれあって
どちらの時代が良かった
という話ではないと思うんです
それまでは寛容的とされていたものが
窮屈さを感じるほど規制しないと
傷つける人、傷つく人を生み出すことを
止められなくなった現実
止められていないと気がついた現実が
あったりもしただろうし
やっぱり昔の方が生きやすかった、と
純粋に感じられる部分もある
逆に今の方が
寛容的に考えられるようになったことも
あるのだと思います
“世代間の認識の差”で
ダイレクトに壁を感じる出来事を考えると
今の私がパッと思い浮かぶのは
“子育ての当たり前の認識の差”ですが
それひとつで考えても
昔と今、どちらがいいだなんて
一概には言えないと思います
ちなみに冒頭の話の続きですが
苦いような顔をしたおばあちゃんに対して
でも、結婚で地元を離れる人は
今も昔も変わらずいるし
それが国を跨ぐか跨がないかの差だけで
そんなに特別変わらないと思うよ。
今は割と行き来もしやすくなったし
連絡だって簡単に取れるし。
別の国の人と結婚したら
日本の当たり前とは違うことも
いっぱいあるだろうから
きっと毎日新鮮だね。
と、とりあえず押し切っておきました(笑)
それによって
おばあちゃんの認識がどうなるかは
私には分かりませんが
“あまりよくないもの”として
食わず嫌いして欲しくないなぁ、と
いろんな生き方をしている人がいて
なにも悪いことなんてないもの
国際結婚だって、同性婚だって
お見合い結婚だって、婚活結婚だって
自分が望んだ相手と結ばれることに
寛容的や否定的なんて概念すらなく
『おめでとう』と返すのが
当たり前だと考えられる人が
ひとりでも増えて欲しいです
世の中色々です
でも、そんな色々を
みんな違ってみんないい
って思える私でいたいなと思います