私のお父さんは診断こそ受けていませんが
典型的なアスペルガー症候群の特徴を
抱えた人なので
感情的なやり取りが難しいです
白か黒かは分かっても
グレーゾーンがある認識は
なかなか難しいのもあって
定型の人は『なんとなく』でわかる
感情的な感覚も
ひとつずつ事実を裏付けて
「これがあったから私はこう思った」
と順番に説明しないと
お互いの認識にズレが生じがちです
昔からの習慣で
無意識にその話し方が
身についてしまったらしい私は
普段他の方とお話する時も、
もしかしたらこうして書いている記事も、
同じように話をしているようです
自分では最近気が付いたのですが
この話し方は
きちんと説明が出来れば
私の主観と受け手の受け取り方のズレは
少なくて済む場合が多いですが
説明に事実の裏付けがあることで
受け手側が私の主観を
“客観的視点”と同様に
受け取ってしまうことも
しばしばあるみたいです
そうすると主観のやり取りが
私の主観の押し付けに
形が変わってしまっていないか
と、最近とても不安です
「私はこう思う」というだけの話が
「そういうものだから」
という伝わり方をしてしまっていたら
それは私が望んでいることと違います
最近たまたま
続いているだけかもしれませんが…
第三者に意見を求める時も
私が事実説明をすると
皆口を揃えて『それはそうだと思う』
とおっしゃいますが
当事者の周りには分かってもらえないことも
結構多いので
これは私の説明の仕方なのか…?
と思い出してしまって

気にし過ぎだよなあとは思いつつ
主観と客観の境界線が曖昧になり始めて
頭を抱えている今日この頃です
