以前とある方との繋がりが
きっかけで知り合った
2人の女の子がいました
一人は生きたくても生きられなかった
一人は生きることを手放した
どちらも私よりも年下の子でした
私は彼女達に出会って
人は案外簡単に死んでしまうみたいだ
ということを知りました
すごく嫌な言い方ですが本当にそうなんです
生きるって死ぬほど大変なんだ、と
言っていることは矛盾していますが
まさにそのまま、そう思いました
この世に生を受けたことも
本来は果てしない奇跡なのですが
そうは言っても自分自身は
気付けば生かされているのだから
何かきっかけがなければ
生きることを意識するきっかけって
なかなか無いですよね
“死”を実感して初めて“生”を意識するのは
よくある話ですが
私もきっとそうです
生きる理由を自分ひとりで見つけるのは
とんでもなく難しいです
だけど、死ぬ理由を錯覚するのも
人であることがごく普通にあるのだから
なんだか難しいですよね
今生きているのは奇跡なんだ
っていうのは
まさに仰る通りなのだけれど
あちこちで刷り込みのように唱えられていて
いつの間にやら
安っぽく聞こえるようになってしまった
私がいたりします
生きることに
ひとつも目的を見出せなかったら
それは『息をしている』だけだ
そうなると
『生きている』という言葉の
定義の話になってきてしまうけれどさ…
私は
生きていることと、
息をしていることを、一緒にして
その言葉は使って欲しくないと
いつも勝手に思ってしまうんです
生きていれば色々ありますよね
本当に、いろんなことが
生きていることが辛くなることも
誰しもきっと一度は
経験するんだろうと思います
息をしているだけの時もあるかもしれません
それでも死ぬことは
もう少し先延ばしにしておこう
と思える理由を
端切れひとつでも握っておいて欲しいなと
私は思ってしまうんです
どんな形であれ
この世界のどこかには
あなたの死で胸に痛みを感じる人は
絶対にいるから
どうしようもない時は
とりあえず息をしておいて欲しいな
私のために
結局私は何が言いたかったんだっけ?
書いてるうちにすっかり忘れちゃったけど
とりあえず私は今日もなんとか生きてます
って言いたかった気がしなくもない