私とお母さんは
周りの方からよく『仲良しですね』と
言って頂けるくらいには仲がいいと思います

私の病気のことも
よく理解してくれていて
日々一番近くで支えてくれる
本当にありがたい存在です…


ただ、だからこそ
距離が近過ぎて苦しくなることも
本当はよくあるんです…


病気や障害の影響で
年齢相応のことがこなせない部分も
確かにあるのは自覚しているのですが

それもあってか
今は、何をするにも
必ずお母さんの手が入っています


以前から言っている
出かける際のことも含め

例えば
少し前にバイトを始めようと思っている
という旨を伝えたら…

どんなところにするの?
どれくらいのペースで働くの?
どんな条件で探すの?
と次々質問されて確認されたり

でもいきなり働くのは、
何かあった時は対応しなきゃいけないから、
など…

お母さんもいろいろと
心配事が多かったみたいだったので

それなら福祉的配慮をして頂けるところで
と思い就労支援施設へ
とりあえず説明を聞きに行くことにしたら

初めてのところで
行き帰りが不安だったので
送り迎えだけお願いして
自分で聞きに行くつもりだったのですが

『二度手間になるから』と言って
お母さんも同席することになり

私が話をしていても
ちょこちょこ口を挟まれてしまって
自分がしたい話を
きちんと出来た気がしなくて…


自分が前に進むために
自分の力で出来ることをしてみたくても
お母さんの手があまりに細やか過ぎて
これが自分のためにやっていることなのか
疑問に思えてきてしまうんです

自分で決めたことのはずなのに
ほんの少しずつ“お母さんの意図する形”に
寄っていっている気がしてしまって

どれが自分のしたことなのか
どれが本当に自分で出来ることなのか
全然分からなくなってしまいました


お母さんの
言っていることも、していることも
気持ちとしては私なりに理解出来るんです
理屈もきっと間違っていない

だけど、
それは誰の心配なんだろう?
“お母さんの心配”のために
私はあとどれだけの間
自分の能力をお母さんの枠に
はめておかなければいけないんだろう?
と思ってしまうことも正直あります


これは私の主観だから
周りで客観的に見ている人達には
全然違って映っているかもしれませんが

少なくとも私は
もう少し“自分自身のために”
“自分で”行動を起こしてみたいな
って望んでしまいます


じゃあもう手を貸さない
と言われてしまったら
それはそれで何も出来なくなってしまうのも
確かに事実なんです

だけど、助けて欲しい時は
ちゃんと「助けて欲しい」って言えるから
そんなに先回りしてくれなくてもいいんだ
って伝えることは間違ってるかな…?


このままじゃ
自分で生きていけなくなってしまう

自信がないんです