私が初めに入った高校は
地元では進学校と呼ばれる学校でした
入学式の次の日から
大学受験に関する
進路指導の学年集会があって
『まだ入ったばかりなのに』
と呑気に思っていられたのは
本当に初めだけで
その後次々と始まる
テストや模試、進路指導の面談で
『あ、本当に今から考えなきゃなんだ』
と思ったのは今でも覚えています
ぽんぽんと進められていく
少し先の未来の話に
ついて行くのに必死で
気持ちはどこかに取り残されたまま
先のことはどんどん決められていく
自分の人生の話をしているはずなのに
敷かれたレールの上で
走ることを催促されているような気分でした
だけど、
当時の私はそれしか知らなくて
それが当たり前だったんです
周りの子達だって当たり前にそうしていて
その感覚が“当たり前”だという刷り込みは
どんどん信憑性を増していく
人生の進む道は案外簡単に決まっていって
一度決められたそれから脱線するのは
何となくタブーだと言われている気がして
だから統合失調症を発症して
レールの上から転がり落ちていった時の
恐怖ったらなかったです
私の周りにいた子達は
決まった未来に向かって
どんどん加速していくのに
私はある日を境に立ち止まったまま
このままどうなってしまうのだろう
と本気で思った
焦らずゆっくり、と言ってもらうたびに
自分のことじゃないから言えるんだ
と泣いて噛み付きたくなった
そんなのは綺麗事だろうと思いながら
『そうですね』と笑っていた
人生いろいろだという言葉は
当時の私にはそれだけ非現実だったんです
人生やり直せると言えるのは
その現実を知っている大人だけだと思います
少なくとも
人生やり始めている人達の渦中にいた私には
その言葉は欠片も信じられませんでした
だけど、
じゃあそれを誰が伝えるかと言えば
それを知っている大人だけでも
あると思うんです
私の今の人生が
『やり直す』に当てはまるかは
自分では分かりませんが
当時の私の当たり前が
全ての人の当たり前には
当てはまらないのだとは気付きました
人生やり直せる
そんな綺麗事のような言葉を
実感として感じるのはなかなか難しい
当たり前に則っている方が
ずっとずっと生きやすい
だけど
当たり前に則っていなくたって
人生は案外なんとかなるし
それはそれで面白いものだよ
って今の私なら言えるかもしれません