少し前に私にとっては
あまりに受け入れ難い現実を
目の当たりにする機会があり
生まれて初めて誰かを恨みました
今までだって
他人に対して
“苦手”という感情は
抱いたことはあったけれど
“嫌い”だと思ったこともなかったんです
それは自分との違いを
受け入れ難いという部分も
少なからずあると分かっていたので
“嫌い”とは違うと
自分でも分かっていたからでした
例えば理不尽な言動を受けても
そこでNoを言えない自分がいることも事実で
そうして自分で選べたはずの行動を
選択しなかった事実が
ある意味そうした言動を受け入れるための
私なりの理由付のひとつの方法でした
それは今でもそうです
ただ…今回は、今回の出来事だけは、
自分にくっつける理由が
私ではどうしても見つけられなかった
今お世話になっている
徹底的な程に傾聴型のカウンセラーさんには
もう2ヶ月半、10回ほど
カウンセリング受けていますが
今まで私がそのカウンセラーさんに
個人の意見や見解を求めても
それがどんな些細な日常会話でも
一度もきちんとした答えを
もらえたことがなかったのに
先日のカウンセリングで初めて
これを言っていいのか分からないけれど
それが事実なのだとしたら
私もその方を許せません
と言われました
その方が嫌いだから
その方を恨んでいるから
何かをしようとか、してやろうとか
そんなことは全く考えていません
ただ、
他人を“恨めしい”と思うこの感情は
確かに褒められたものではないし
負のエネルギー以外の
なにものでもないけれど
それが分かっているからって
その感情を否定する必要はないとは
思っています
逆に言うと“恨めしい”と思う
この感情を抱えることでしか
今は自分を支えられません
“今は”その感情を
どうにかすることは出来ないし
それすらも許してもらえなかったら…
こんなこと言うべきじゃないけど、
私はこの現実を抱えたまま
どこかへ消えてしまうでしょうね
こんなことで縛られていても仕方ない、と
踏ん切りを付けて歩き出すことが
私ならいつかは出来るって
私自身は信じてる、信じていたい
ただ、
そのいつかも“今は”目処が立たなくて
そのいつかを催促されたり
強要されたりするのも正直苦しい
それは私が私の中で
この感情と必死に向き合って、闘って
時間の力も借りながら整理を付けて
その上で歩き出すタイミングを
見つけるものだから
そっか
誰かを“恨む”って
こういうことなのかもしれないなぁ
なんて、実体験してみて何となく感じて
それが攻撃の動機に変わってしまうとしたら
これほどに恐ろしい感情はないだろうな
と思いながら
それと同時に
誰かを“恨む”というのは
自分を甘やかして、守るための手段なのか
とも思いました
こんな感情は抱えない方がいいと
改めて思います