最近の私は、
自分にとっては深刻なほどに
辛いことや苦しいことがあっても
当たり前のように笑えているみたいです


自分で言うのも変な話ですが
私が抱えている“悩み”って
大抵の同世代の方達からしたら
割と特殊で、重いことが多いらしくて

例えば友達含め同世代の方や
年下はもちろん、年上の方でも
悩んでいる感情を滲ませて話をすると
多くの方は
返す言葉を失うか、
言い方は良くないけれど…
同情してくれるかの形になるんです

言葉を選んで話そうとしてくださる方も
もちろんいらっしゃいますが
それでも聞いた瞬間は
顔が強ばったり、言葉に詰まったり…


その反応自体に
不満があるわけでは全然ないんです

私が言うのもアレですが
それが正常で、正当な反応だと思っています

ただ…それによって
自分の抱える悩みというか、問題というか
そういうものの重みや深刻さを
改めて認識してしまうのが辛くて

自分を守るために
自分を甘やかすために
笑って話そうとするようになりました


そうすることで
自分自身も
話していて落ちないことにも気付いたので
結果的にポジティブな要素は
十分あるのですが…

そうすることで
悩んでいる現状に
気が付いてもらえないことは
圧倒的に増えました


悩んでいる事柄で
四六時中思考を支配されると
あっという間に
メンタルがボロボロになるのは
経験から学習してきたので

感情の手綱を引っ掴んで
何とか日常生活から切り離して

そんなことを繰り返していたら
笑うべき時には
当たり前のように笑えるようになったし
悩みで日常生活を脅かされることは
以前よりはなくなりました


それが出来るくらいには
健康的な精神状態なのだから
事実大して悩んでいないのかもしれませんが

ひとりになった時
フラッシュバックに襲われた時
夢でその苦痛を再体験させられた時

やっぱり心が壊れそうにはなるんです


先日はカウンセラーさんにも

ニコニコとよく笑っていて
健康的な表情に見えたので
まさかそんなに大変な状況だとは
思いませんでした

と申し訳なさそうに言って頂いて

カウンセリングという形で
日々様々なクライエントと関わっている
プロにさえそう見えるのなら
私の大変さって
やっぱり目には付きにくいんだなぁ
と改めて思いました


私は我儘で傲慢だから
自分でその状況を作っておきながら
それでも欲を言えば
“気付いて欲しい”と思ってしまいます

だからこそ
当たり前に笑っているように見える
目の前の人に対して
『悩みなんてないんだろうなぁ』と
私自身が感じた印象だけで
決めつけることはしたくないと思うんです

自分がよく言われる
『とてもそうは見えなかった』という言葉は
もちろん嬉しくもあるけれど
やっぱりちょっと切なくもなるものだから
無闇には使いたくないんです


そうして笑っている私を
『強い』と言ってくださった方もいたけれど

それが自分を守る手段であるだけで
それ以上でもそれ以下でもないんです

でも、その言葉は結構嬉しかったな


目に見えるものは真実だけれど
目に見えるものだけが
真実ではないのかもしれないと思うと
人ってますます難しいですね