あの子は私が
もがいても足掻いてやっと掴んだ端切れを
それでも手をすり抜けていったものを
幾つも、いくつも
当たり前のように手にしていて

私の目の前に並べて
謙遜しているようにしながら
見せられるそれらが
欲しくて、欲しくて
羨ましくて妬ましくて仕方がなかった


私は分かっていたんだ
分かってしまっていたんだ

それらは、私が
いくら頑張っても手の届かないものだと

だって
私にとっては身を擦切るほどに頑張った上で
それでも手に入らなかったもの達なんだもの


ふと思ってしまったんだ
“努力”って何なんだろう、と

確かに努力は無駄にはならない
必ず自分に何かが返ってくる

そんなことは分かっている
私自身だって体感してきた事実だ


だけど、その時は、その時ばかりは
努力してもすり抜けていく虚しさが
何よりも勝ってしまって

私にとってはしがみついた端切れも
誰かにとっては簡単に手に入るものだった

そんなものがひとつどころか
幾つもいくつも並んでいたら

綺麗な言葉は辛うじて幾つか浮かんだけれど
綺麗な感情はひとつも湧かなかった


私は私で、あの子はあの子で
別々の人間なのだから
私は私なりに頑張ればいいとか
私なりに頑張るしかないとか

そんな綺麗事だけで片付かない感情が
私の心をぐちゃぐちゃにした


綺麗な言葉を並べて
綺麗なものだけを見ているように
錯覚するのは簡単だ

だけどそういうのが
俗に言う『綺麗事』ってやつでしょう?

私は、そういうの大嫌い

ずっと自分がそうしてきたからこそ
綺麗な言葉だけで
醜い何かを否定したくない


だってそれが素直な私であることが
現実で、事実なのだから