またTwitterで見かけた

ツイートの話題になってしまうのですが

考えさせられたツイートがあったので

紹介させてください




「我が子には障害など持たずできるだけ健康に生まれてほしいから25歳までに子供が産みたい」と発言することの何が悪いのか分からない。自分はリスクを避けるためにそうしたいと宣言しただけ。しかも噛み付いてくるやつらが30パチ打ちとかなのもめちゃくちゃ面白くてマジでニヤニヤしてる

(@kopiJdさんより)



最初にこのツイートをTLで見かけて

すごい言い方をする人だなぁ

とは正直思いましたが


同時に「ごもっともだな」とも思いました


…最後の一文は置いておいて



障害を持って生まれることはリスク。精神的・経済的にももちろんだし人間関係も。ダウン症の人(30超え、親は60代)と関わったことがあるけど一生1人では生きていけなくなる。普通の育児とは比べ物にならない位色々な苦労をする事になるだろうし。当たり前だけどそういう人を非難するつもりは微塵もない



これはさっき紹介させて頂いたツイートに

リプライで繋いであった

ツイートなのですが…


実際それが現実なんですよね



生きづらさが人生に支障を来すから

“障害”という名前が付くんです


この方が仰るように

精神的・経済的にも、人間関係にも

リスクを抱えるのは事実です


それは私自身が“障害者”であり

それらの事実を

私なりに実体験しているから

尚更そう思います



そして障害を抱えるのは

本人だけでなく

その人の側にいる人もです


課題を抱えた子供を育てることが

如何に大変なことか

大変なんて言葉で収まる話ではないことかは

お母さんを見ていれば痛い程分かります



それを不幸だとは思いませんが

自ら、しかもそんな形の課題を

望む人なんています?


もしいるのだとしたら

私は逆にどうかと思います…



抱えた課題に向き合うことで

見えるものは沢山あるけれど

それは向き合わざるを得ない現実を

突きつけられたから向き合えただけで


避けて通れる可能性のある課題を

くぐり抜けたいと思うのは

自然な感情だと思います


私は、

批判するところは

見つからなかったけどな



実在する現実を知らないまま

まるで正論であるかのように

形ばかりの言葉を並べたら

それはただの“綺麗事”じゃないですか…?