先日お父さんから電話がかかってきて
突然「(弟)の母子手帳どこにあんだよ?」
と言われました

※並んでいる言葉だけみると
不機嫌そうに感じられるかもしれませんが
元々口が悪いだけでいつも通りです


訳を聞くと、
弟の発達段階の過程を書いて
病院に提出しなければいけなくて
『書けるところだけ』と言われたものの
殆ど書けなくて
母子手帳の記録を確認したかったそう

母子手帳自体はお母さんが管理していて
電話がかかってきた時には
お母さんは仕事へ出ていたので
ササッと探してみたものの見つからず…

お父さんが読み上げる項目の中で
私が分かるものを伝える形に


項目の中には
歩き始めたのは?話し始めたのは?
のような小さい頃の発達の様子の他に
縄跳びは跳べるか?リコーダーは吹けるか?
のように
小学生以降の運動機能や話す聞く能力等
様々あったのですが

基本的に日常の様子をきちんと見ていれば
分かったはずの内容で
何だか…うーん…ちょっと複雑になりました


お父さんは私たちが小さい頃から
長期滞在の海外出張が多かったので
確かに、一般的な親子に比べて
一緒にいる時間は短かったかもしれませんが

それでも一緒に過ごした時間は
ある程度きちんとあったはずなのになぁ、と


思い返せば
小さい頃にお父さんと
一緒に遊んだ記憶ってほとんど無くて
それは私の記憶力の問題も
あるかもしれないけれど
多分、それだけではないと思います

休みの日に出かけたり
家族で旅行へ行った記憶もあまりないし、
家に居る時はずーっとゲームをしていて
それを横で眺めていたり
たまにやらせてもらったりするのも
それはそれで楽しかったけれど
私たちのやりたいことに付き合ってもらった
という感覚はあまり残っていないです

今となってみれば
元々子供があまり好きではなくて
予測のつかない動きばかりしていた
小さな私たちの扱い方が
分からなかったんだろうな、とか
パニック障害を抱えていて
長時間の移動が苦痛だったんだろうな、とか
何となく理由は分かりますが…


愛されていなかったわけではない

お父さんは、お父さんなりの形で
ちゃんと愛を傾けてくれていましたし
それを全く感じていなかったわけでもない

ただ、なんというか…
あまり関心がなかったのかな
というのが正直な思いです


私の方がずっと弟のことを知っていた
少なくとも、この紙で求められている答えは

歩き出したのは10ヶ月前で早かった、
発語の時期は普通だったけど
語彙がなかなか増えなくて心配したらしい、
小さい頃はあまり人見知りしなくて
積極的に話しかけてたから友達も沢山いた、
縄跳びは得意じゃないけど普通に跳べる、
リコーダーだってちゃんと吹ける、
小学校の勉強はテストでほぼ100点取れる、…

小学生の時
『広汎性発達障害』の診断をされている

お母さんから聞いたことも
いっぱいあったけれど
全部全部、私は知っていて
お父さんは知らなかった


私だから知っていたことも
もちろんあるのだろうけれど
こんなに、こんなに…?

ちょっとだけ寂しくなったよ


親子だって別の人間だから
親が知らないことだって
あって当たり前なのは分かってるけど
親だから知っていて欲しいこともあるんだ

それは時に“愛情”に形を変えるからさ