当たり前に愛されることを知っていて
当たり前に愛することを知っている人が
羨ましくて、羨ましくて、妬ましかった


21年以上生きてきて…

私は誰からも愛されてこなかった
なんて悲劇のヒロインのようなことを
言うつもりはさらさらない

今までにも
私を愛してくれる人だってちゃんといたし
色々な人に、色々な形で
愛を与えてきてもらったことは
ちゃんと実感としてある


ただ、「無条件に」愛して欲しいと
欲張って望んできてしまっただけで


私は、
自分が出来る最大限の配慮をしながらしか
コミュニケーションを取る方法を知らない

それは家族に対してだってそう

求められたからか
自分がそうでありたかったからか
そんなことは覚えていられないくらい昔から
自分の思う「いい子」を選択し続けてきて

自分では抜け出せたつもりでいたけれど
やっぱり人の顔色を伺いながら
言葉や行動を選んでしまう私は
どうしたって「いい子」を
演じてしまうみたい

実際の私が「いい子」であるかどうかなんて
私には分からないけれど
私はそれでも、
「いい子」でいようとしてしまうんだ


りんごちゃんはいい子だね
りんごちゃんとは話しやすい
りんごちゃんには気を遣わなくていい…

なんて、
有難いことに
そんな風に言ってくれる方がいて

その言葉自体は凄く嬉しくて
その言葉が欲しくてそうしているはずなのに

私がその「いい子」を演じるために
自分を殺してしまっている事実に
気付いて欲しいとも思ってきた


いい子なんじゃないんだよ
弱くて自己主張が出来ないだけなの
話しやすい自分になるために
自分の意見をしまってるだけなの
貴方に気を遣わずにして欲しくて
私は擦り切れるほどに気をつかっているの

全部自分の行動の結果なのに
本当は誰かに
「そんなに頑張らなくてもいいよ」
と言って欲しかった


私なりに必死なことを認めて欲しくて、
その上でそこから抜け出すことを
強要しないで欲しかった

我儘過ぎると、自分本意な考えだと
分かっているけれど
それでも望んでしまった


作り上げられた私を愛されたって
そんなの愛されている気がしなかった

だって、それは私だけど私じゃないの