世間一般で「当たり前」とされる
常識に当てはまって生きるのって
とても生きやすいと思うんですよね
世の中に色々な考え方や
価値観の方がいらっしゃるのは
皆さんご存知かと思いますが
その中でも多数派の意見だから
「当たり前」という名前の
常識になっているわけで
それって、イコール
世の中のより大人数に許容してもらえる
ってことだと思うんです
どちらが正解かどうかは
人がそれぞれ決めることですが…
ただ、少数派を貫いて生きていくには
生半可な覚悟では無理ですよ
と私は言いたいです
お前なんかに言われたくない、と
思う方もいらっしゃると思いますが
それは20年ちょっとしか生きていない
生意気な小娘の私ですら
面食らって痛感したことです
私は不可抗力で少数派に流れ込んだことも
自分で少数派を選択したこともありますが
どちらにせよ「人と違う」という選択は
時には誰かの共感や憧れを貰えるけれど
大抵の場合は偏った見方をされたり
なかなか理解が得られなかったり
望んでいなくても波風が立ったりするんです
例えば私が統合失調症を患っていることも
何処かでは精神障害者のレッテルを
貼り付ける人もいるし、
それによってなかなか学校へ通えなかったり
思うように仕事に就けなかったりする私を
引きこもりと名付ける人もいるし
例えば他人の目ばかり気にしてしまう私が
他人の視線や言葉から
私なりに相手の感情を
最大限拾う努力をする中で
結果他人から認めてもらう形で
自分を好きになる方法を選んで
生きていることだって
他人の言葉に靡かず自分らしく生きることを
美学としている人が多い世の中から見たら
何とも屈折した考え方だと思います
何かを得るには
何かを犠牲にしなければ成し得ないのは
現実としてそうだと私は思っています
私が手に入れたいもののために
失うものがなければならないとしても
それを天秤にかけた時に
より自分が手に入れたいと思うもののために
何かを手放すのは当たり前のことです
それを時に人は「覚悟」と言います
私はなりたい私であるために
自分が自分を好きでいられるように
少数派の選択をしました
誰かから見たら歪んだ思考だとしても
それで私が納得していて
そのために割り切って、腹を括って
覚悟を決めているのだからいいんです
不可抗力で流れ込んだ少数派だって
そこから私自身が
自分を好きになるための努力を
惜しまなければいいだけの話です
私は、誰のためでもなく
私のために生きているのだから
当たり前に当てはまらずに
生きていく方法も手段も
普段目に見えないだけで山ほどあります
それを選ぶか、選ばないかは
あなたの感性次第です