周りの顔色ばかり伺って生きてきた私は
ずっと自分らしく生きたいと思っていたけれど
じゃあ「自分らしさ」って何かと問われれば
その答えはずっと見つけ出せなくて
多分その時の私が思っていた自分らしさは
他人の言動にブレることなく
自我を持ち続けられることだったのだけれど
私なりに頑張ってみたけれど
その生き方は私には無理でした
先述した通り人の顔色を伺ってきた私は
いいんだか悪いんだか
人よりその能力が
ほんの少しだけ長けてしまったようで
そんな私が他人を意識せずに生きるのは
不可能だなと自分で諦めました
だから、潔く諦めた分考えました
じゃあ何が「私らしさ」なのだろうと
考えて、考えて…
他人に合わせる中で
“ここだけは譲れない”と思う核だけは作ろう
その核が私なりの自己主張だ、と
捉えるようになりました
ある意味振り出しと
変わらないかもしれません
他人によってブレない自分を作ること
ただ、それが全ての生き様じゃなくても
私が生きやすいように生きていくことも
私らしさかなぁ…なんて
以前の記事を読んで下さった方は
ご存知かもしれませんが
私は今でも人の顔色を伺って生きています
たまに窮屈になることもあります
だけど、これが私の生き方です
他人に合わせてばかりの自分が
大嫌いだった時期もあったけれど
仕方ない、それが私だから
そして言い方を変えれば
それが私の武器でもあるから
人の数だけ人生があります
十人十色、多種多様です
自己主張したもんがちの人生と
その人らしい人生は
必ずしもイコールではないと思います
なりたい自分になれたら勿論いいけれど
それがなれない自分だったら
なれる自分でいることも
たまには良いのかもしれません
私は、今の自分の生き方に納得しているし
これはこれで悪くないなぁって思ってます
自分にとって納得の行く人生なら
それで良いんです、きっと
私はそう信じています