例えばカッとなって勢いで放った言葉
口にする方は勢いに任せて言っただけで
記憶から溶けて消えてしまっても
言われた方には
傷として残っているんですよね
最近つくづくそう思わされる場面が重なって
何だか色々考えてしまいました
怒りに任せて言ったことくらい
こちら側だって分かってる
言葉のあやだと言われてしまえば
そうかもね、そうだろうねと理解は出来る
でもそれって凄く無責任だよね
思っていなくても
それを口にした事実は消えないし
怒りの感情に支配されていたって
言っていいことと悪いことってあるんだよ
怒りの感情に飲み込まれてしまうこと
それ自体も恥ずかしいことだと
気づいてくれるといいのだけれど…
喜怒哀楽という言葉があるくらいに
人に怒りの感情があるのは当たり前のことで
怒るのも大切な自己表現なのだけれど
ポジティブなだけの感情じゃないからこそ
自分で手綱を握れることが
必要なのだと思うんです
自分が何に怒っているのか
どうして怒っているのか
分かっているか、いないかって
凄く凄く大きいですよね
飲み込まれやすい感情だからこそ
その人の度量が試されるのかな、と
私は思っています
言葉の影響力って偉大です
言葉を口にするというのは
それに対する責任も伴います
それをいつも頭の片隅に置いて
きちんとした言葉を使いたいなと思います