昨日下さったコメントにお返事していて
改めて記事にしたいなぁ
という話題があったので
同じような内容に
なってしまうかもしれませんが
ちょっと書かせて下さいね


私は今まで
自分が手を伸ばしてきた世界や物事の中で
何かに“才能”というものを
感じた事がありませんでした

褒め言葉として
受け取っていいものなのかは分かりませんが
割と“器用貧乏”だと言われます
何をやらせても人並みには出来る
ものによっては人よりちょっとだけ出来る

でも、それだけ

もしかしたら
それは贅沢な悩みなのかもしれませんが
私にとっては
あまり魅力に感じない特徴でした

人並みの能力しかないくせに
プライドの高い負けず嫌いなので
誰かより出来ない事が
許せないというわけではないのだけれど
出来ない自分が許せなくて
私は私なりに齧り付いてきたつもりです

本当に光栄なことに
中にはそんな私を見て
努力家、だと言ってくださる方もいました

でも逆にいえば
私は努力することでしか
何も出来ないタイプなんです

先述した通り“努力”と呼べるような
かっこいい動機ではないのですが


私は何かの結果の為に
自分なりに頑張る、というよりは
自分の納得いくところまでやってみる
という感覚の方が強かった気がします

まあ、努力そのもの自体
自分を納得させる為のもの
なのかもしれませんが
それはそれで良いのだと思います

自分なりに出来る事をした
という満足感の為のものだとしても
頑張った自分は
少なからず自信になりますものね


以前お母さんと話をしていた時に
たまたまこんなような話題にになって
やっぱり同じように話したんですよね

その時お母さんに
でも、努力出来るのもひとつの才能なんだよ
と言われたのは今でも印象的です


努力って誰にでも出来る事ですよね
自分に出来る事をするか、しないかは
自分自身で選択出来る事です

でも努力するって面倒くさいんですよ
コツコツ積み上げるのは時に辛いし…
楽して手に入れられるならその方がいいのは
当たり前のことだと思います

だから努力をするには
それなりの覚悟も必要で
その覚悟を決める自律心や
努力する為の努力も同時に伴うのでしょうね

努力するのが当たり前な人は
きっとそんなことを
考えた事は無いと思いますが
努力って実は
色々なものの上に成り立っているのだと
私は思います


努力は誰にでも出来ます

でも、誰にでも出来るからこそ
そこに打ち込む選択が出来る意思の強さも
きっと才能のひとつです!!