自分で言うのも変なのですが
私、人と話をする時に
自分でも無駄だと思う程気を遣うんです
気を遣うというか
頭を使うというか、
自分の話そうと思う話題を
自分なりに大雑把に噛み砕いて
大まかに話の骨組みを作っておいてから
この人により分かってもらうには
どう言葉を選べばいいかな、と
話をする相手に合わせて言葉を選んで
話をしながら顔色を伺って
相手の表情から口調や言葉選びを調整して…
パッと思いつくだけでこんな感じ
もしかしたら皆さんからしたら
当たり前の作業なのかもしれませんが
不器用な私が
これを無意識にこなそうとするので
流暢に話すのがド下手くそです

でも、私は私なりに
そうして気を遣って
話をしているつもりなので
自分なりに相手に敬意を払って
話をしている自信だけはあったんです
だけど、最近になって
それって間違っているのかな
と思うようになって…
我が家のお父さんが
少し特徴の強い人なので
話をする時に“お父さんに伝わるように”
というのがいつも大前提で
もちろんそれでも
伝わらない事もあったけれど
出来るだけ伝わりやすくなるように
試行錯誤しながら話したり
話しながら表情を伺って
話し方や言葉選びや、口調を変えたりして…
以前デイケアの先生には
それは今までの成長過程で
りんごちゃんが得てして得たもので
強みでもあり、弱みでもあるよね
と言って頂いたことがあります
私にとってそうして話すのは
半分は相手へより良く伝える為なのですが
もう半分は…いい人で居たいからなんです
相手により分かりやすく伝える為に
自分なりに努力してるつもりになって
そうして努力している自分が可愛くて
逆に言うと、
そんな自分しか受け入れられなくて
でも、そんな自分って凄く傲慢だな…って
一昨日の話の記事もそうなのですが
それを選んでしているのは自分なのに
それによって
都合の良い位置づけになってしまえば
それはそれで不満も感じていて
…随分、我儘ですよね
もっと謙虚な気持ちで
当たり前のように出来たら良いのに
そうする事を少なからず武器にして
それを振りかざす自分は
何だか間違っている気がします
自分が望んでいい人になりたいのなら
最後まで“いい人”になりきるべきなのかな
もっと謙虚でいられる自分になりたいな