塩野七生氏の心に響く言葉より…


震災後、イタリアの週刊誌に、被災地の子供三人を写した写真が載っていた。

一枚は、福島の原発の近くに住んでいたらしい二歳にもならない男の子で、放射線測定機を突きつけられても堂々と両手をあげてそれに対している写真。


もう一枚は陸前高田で写したというもので、ピンクの防寒着に身のまわりの物をつめこんだピンクの袋を肩に、昂然と瓦礫の間を歩く五、六歳の女の子。


最後の一枚は気仙沼で見たという少年で、十歳かそれより少し上だと思われる年齢だが、こちらは避難所でもらったのか、だぶだぶのグリーンのジャンパーにピンクの長靴という出で立ち。

少年は口をきつく結び、伏目で歩いているのも、足元に散乱する瓦礫に注意してのことだろう。


この三枚の写真につけられていたイタリア人の記者のコメントは、次の一行だった。

「面(つら)がまえがいい。日本は必ず再興する」


日本には半年に1度の割合で帰国するが、帰国中の私の関心はもっぱら日本人の顔。

イイ顔になっている人は、この半年の間にイイ仕事をした人で、醜い顔に変わった人は、イイ仕事をしなかった人である。

肉体上の美醜にも社会的な地位にもまったく関係なく、この評価は相当な確率で当たる。


イタリア語に、「インヴェキアート・ベーネ」という言葉がある。

上手く年齢を重ねた人、という意味だが、クリント・イーストウッドが言われていた。

要するに、良い仕事をしていると老いても美しい、というわけ。

半年ぶりに見ると、このちがいがよくわかる。


美型なのに醜く変わった人は、批判するためだけに批判しているかのような人に多い。

昔は、大人になったら自分の顔に責任をもて、と言っていたが、今でもそれは変わらないのではないだろうか。

日本人を、その人の話に耳を傾けるより前に、イイ顔、醜悪な顔、に分けてみるのはどうだろう。



いい仕事をして、イイ顔になりたい。