明石家さんまさんのお話です。



10代のころ、笑福亭松之助師匠のところで弟子っ子修行をしていたさんまさんは、毎朝廊下掃除をやらされていました。


ある冬の日、いつものようにぞうきんがけをしていると、酔って朝帰りしたらしい師匠が通りかかり、「なあ、そんなことしていて楽しいか?」と聴いてきたそうです。


さんまさんが「いいえ」と答えると、「そうか、そうやろな」と一言。


そのあと師匠がかけたのは、


”だったら、やめろ”でも、”我慢してやれ”でもなく、


「なら、どうやったら楽しくなるか、考えてみ」という言葉でした。


それからさんまさんは、どうやったらぞうきんがけが楽しくなるか、一生懸命考えたそうです。


もちろん、それで作業が楽になるわけはありません。


しかし、あれこれ考えるうち、ぞうきんがけがなんとなく楽しく、苦痛ではなくなったそうです。


人生で苦しいことをやらなければならないときは、必ずある。


けれど、そこにささやかな楽しみや幸せを見つけるのは、知恵ひとつでできる。


どんな状況にあっても、人間は考えることができるのですから。私はそういう知恵を持った人間でありたいです


僕はこの話の前半を読んでいて、「ああ、さんまさんは、『ぞうきんがけをナメるようなヤツはダメだ!」と怒られるか、「ぞうきんがけなんて、しなくていいよ」と雑用をやめさせてもらえるかのどちらかの結末を予想していたのです。


しかしながら、松之助師匠は、さんまさんに「ぞうきんがけを楽しむ方法を考えろ」と言ったんですよね。


「ぞうきんがけなんて単純かつ単調な作業、どうやっても楽しくならないだろ。詭弁だよそんなの」と僕は思います。


ところが、さんまさんは、その言葉を聴いて、「一生懸命考えた」そうです。そして、「あれこれ考えるうちに、ぞうきんがけがなんとなく楽しく、苦痛ではなくなった」のだとか。


他人がやっているのを見ていると、「誰がやっても変わらないような「単純作業」でも、上手くできる人と、できない人の違いが、少しずつ生まれてきます。


「単純作業」のように見えても、実際には、「ちょっとした勘所」みたいなのがたくさんあって、それを見つけだしたり、自分で工夫したりできる人は、どんどん「進化」していくのです。


その一方で、「つまんないなあ」「かったるいなあ」とダラダラやっていては、いつまで経っても同じ失敗を繰り返してしまう。


「こんなものはつまらない、工夫しようがない」とみんなが考えるようなものだからこそ、「面白さ」や「工夫できるところ」が残っているのかもしれません。


そして、そのためには、「つねに考えること」が必要なのです。


ぞうきんがけそのものは楽しくならないかもしれないけれど、「ぞうきんがけを楽しくするための方法を考える」ことは、けっこう楽しいのかもしれません。


明石家さんまさんは「フリートークの名人」として知られていますが、「他人の話から面白いところを引き出すトークの技術」っていうのは、まさに「ぞうきんがけの中に楽しみを見出すこと」に通じているような気がします。




単純な仕事や大変な仕事を後で不平不満をいうタイプなのか、

単純な仕事や大変な仕事の中で楽しみを見つけるタイプなのか。



やることは同じでも、気持ちの捉え方で人生が大きく変わると思います!