内閣総理大臣賞
タイトル:【江戸時代に学ぶ「もったいない精神」】
静岡県 中学校2年生 水野 頼子
石油がなくなってゴミとガスで覆われた地球を想像出来るだろうか。小さい頃の私は誰かに聞いた覚えがある。
「地球に人が住めなくなったらどうするの。」
誰かはこう言った。
「そうなる前に科学者が何とかしてくれる。」
と。でも、今の地球環境を考えたら、そうは思えない。地球を科学者が何とかしてくれるのなら、私たちの生活から資源が減ってしまうことも、ゴミが出てしまうこともないだろう。人間だけでなく他の動植物たちも、もっと快適に暮らせるだろう。あのとき誰かの言ったことは信じてはいけないと、今確信した。環境問題を他人事にして、他人に頼ることは出来ないのだ。自分に何が出来るのかを考えなければならない。
「もったいない」という言葉を聞いて、家庭科の教科書に載っていた江戸時代の循環型社会の構築方法を思い出した。江戸時代の日本は貿易をしていないため、すべてを国内生産しなければならなかった。そこで、太陽の恵みで成長するわらや竹を使って生活道具を作ったのだ。多くの時間と労力をかけ、生産量は当然少なく、「もの」や資源はとても貴重だった。「もの」はいつかは必ず使えなくなるが、修理できるものなら何度も何度も修理を重ねる。本当に使えなくなったら燃料にして燃やすが、その時に出来る灰もまた有効利用された。灰は染め物や酒造りに必要な材料であり、もちろん肥料にもなったのである。
江戸時代に行われていたことはこれだけではないだろうが、人々は今では簡単に手に入るものや、簡単にゴミとして扱われるものをとても大切にしていたと言える。そして、ものを長く使うためにはどうするか、ものが使えなくなったらどうするかを常に考えていたことが分かる。江戸時代にはきっと、「もったいない精神」が根付いていたのだろう。
私の家にも「もったいない精神」は少しある。例えば、汚くなったタオルや穴の空いた靴下を掃除する時に使ったり、お風呂に家族全員が連続して入ったり、買い物にマイバッグを持参したり、きちんとリサイクルしたりするなど。「なんだ、小さなことでも意外とたくさんあるじゃん」と感じだ。
私は、「もったいない」を考え直して、今起きている大量生産、大量消費の時代に「もったいない精神」を日本文化になるくらい増やしていきたいと思った。人間の生活の豊かさを求めすぎた「便利すぎる世の中」はいらない。私たちの生活で一番もったいないのは、便利すぎるが故に頭を使って考えていないことだと、私は思った。
出掛けようと思って玄関に行ったら、お父さんが買ってきた腐葉土が置いてあった。後で、生ゴミのたい肥の作り方を調べて教えてあげよう。それで、一袋分のもったいないが減るのだから。