「無下にされない存在になる」
某テレビ番組で、日本全国の割烹料亭の食材を一手に引き受けている会社が出ていた。かなり儲かっているとのこと。
ときには、ある程度調理をして配達してくれるそうだ。料理屋で「今日の煮物はうまいね~」なんて褒め言葉を言いにくい世の中になるのだろうか。
商売というものはニーズがあれば成立するものだが、全ての顧客に対して平等に接しているだろうか。人付き合いにおいても、取引先の方、会社の先輩、同僚、後輩、知人に対して平等に接しているだろうか。すべての予定に対して忠実に約束を守るだろうか。「ハイ」と答えられる人は少ないかと思う。何事においても優先順位があり、他人には言いにくい本音がそれぞれにあるだろう。
しかしながら、色々な考え方の人が世の中に存在するにも関わらず、公衆の面前で天皇陛下のことをバッシングする声を聞いたことがない。伊勢神宮、清水寺など、神社やお寺は全国的に有名なものから地域に根づいたものまで約16万もある。お参りのとき、本殿や本堂に向かって石を投げるだろうか。あり得ない。なぜだろうか。それは、畏れ多いからだ。「畏れ多い」とは何か。そこに自分を磨いていくヒントがある。
弊社には、しがく、NEXUS、プレミアムスタイルといった、若者が登録、または入会するサービスがある。私は社会人と学生を合わせて年間1000人を超える新人の方と話す。「人を見た目で判断しない」という言葉もあるが、これまでの人生をどのように歩んできた人なのかは、見ればなんとなくわかる。話せば大体わかる。二十数年間生きてきたのだから差があって当たり前だ。しかし、これから長い人生を歩んでいくのだから、人から無下にされない人になってほしい。
社会人の最初の頃は、どうしても結果に執着してしまう。結果だけを拾いにいこうとして、人としての器を大きくしていく大事な時期に、策に走ったり、小細工をしたり、ごまかしたりする人がいる。また、人との摩擦を恐れて、当たり障りのない交流や仕事ぶりの人もいる。
ひたすらコスパを考えて、セコい消費活動に終始する。社会や会社を敵視し、騙されないようにと警戒する。傷つかないように八方美人を続ける。自分の損得しか考えない。そういう人は、周りからの優先順位が下がっていくだろう。
何を重要視して生きていくのか。最初は成績などで負けても構わない。「人から無下にされない人格」を追求するのだ。「あの人は裏切れない」「あの人の約束は最優先だ」「あの人を応援しなければ」「あの人に豊かになってほしい」と思われる人だ。私の周りにも、年齢問わずそういう素晴らしい人が沢山いる。
物事の本質は全て共通している。皇室、神社、お寺、着物や和食などの日本の伝統文化、職人による日本の伝統工芸品、最新技術など、無下にされるべきではないものはいくつもある。
では、どうすれば無下にされないのか。管理する人、従事する人、伝える人が、それぞれ誇りを持ち、人様に対して恥ずかしくない行動をとるのである。公に尽くしている人、誠心誠意働いている人は、自然と「畏れ多い存在」に近づいていると言える。
周りや社会から相手にされていないと感じる人は、原因の多くが自分にあることに、いま気づいてほしい。自分の心がけと努力次第で人生は変わる。無下にされない存在になっていくのだ。
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株式会社キャリアコンサルティング
代表取締役社長 室舘勲
今月のコラムから感じたこと
無下にされない存在とは、「ごまかさず、周りのために動ける人」「○○さんが言うんだったらと思われる人」
要は『周りから応援される人』だと感じました。
無下にされない存在になっていくために、周りに求めるのではなく、つねに、自分に矢印を向け、努力し、自分を磨き続けていきたいですね。