日本の功績を辿る旅 ~川端主任 インドネシア 前編~ | キャリアコンサルティングの広報室

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今回は、しがく新聞10月号の10ページにも掲載している、
「日本の功績を辿る旅(8/13~16)~インドネシア独立記念~」
をブログでもお送りします!

実は・・・
インドネシアは350年間、オランダの植民地でした
1942年3月に、日本軍がオランダ軍を退け、1945年8月17日にインドネシアは独立宣言をします。
その裏での日本の貢献は大きく3つ
1.インドネシア語を公用語に戻す!!8
2.現地人による軍隊、PETA(郷土防衛義勇軍)を設立
!!8
  訓練約4万人のインドネシア軍を形成!
3.国家運営の人材育成に協力教員養成所や学校を新設!!8
  10万人に及ぶ青年エリートを養成!
そういった背景は今、あまり知られていませんが、日本とインドネシアにはこんな関係があったのです!!ayaきらきらきらきら

さっそく、しがく事業部 川端主任の写真レポートをおとどけしますgo


8月13日 ジョグジャカルタへ。
そこで、紹介していただいたのがPETA(郷土防衛義勇軍)隊員だったバンバン・プルノモさん、90歳!


使用人の方に運転していただきクスマネガラ英雄墓地に行きました。

1914人の軍人・軍属・民間人を含む戦没者と、そしてなんと!6名の日本人も埋葬されていて、墓石には日本語で名前が刻まれていました。手を合わせていると、現地の方がさりげなくお墓に水をかけてくれ、思わずサングラスをしました。


そしてプルノモさんのご自宅へ。

入口には「友好 寺子屋」!
数年前まで、日本人の教育を受けてほしいと、寺子屋で子供達に自分が日本人から受けた教育を教えていたそうです!

寺子屋の中は日本にまつわるものがいっぱい!

そして、愛車はトヨタ

よく見ると、車の窓ガラスには「THE LAST SAMURAI」
プルノモさんは、「俺はラストサムライだ」と誇らしげでした。

ちなみに夜は・・・


屋台で、何を食べているか何を飲んでいるかは分かりませんでしたが、おいしくいただきました。氷には気をつけろ!と言われていましたが、おかわりして2杯飲み干しました。鉄でも何でも消化するんだと気合をいれておけば大丈夫と言われていたのですが、どうやら本当のようです。びっくり


翌日、プルノモさんのご案内のもとバンバン・スゲン将軍の石碑へ!!

プルノモさんのお兄さんが、バンバン・スゲン将軍。
戦後駐日大使も務められたインドネシア国軍の参謀総長です。


誰も足を踏み入れた形跡もなく、草に覆われていました。
実は、スゲン将軍に533名の日本人が助けられているのですが、その事は、時がたち忘れ去られているようでした。

そして、スゲン将軍のお墓参りへ

スゲン将軍のお墓は綺麗で手入れが行き届いていました。

道中・・・

道端で、車にお昼ご飯を売るおばちゃんも!

ハイビスカス 花言葉 勇敢


プルノモさんとお別れし、ジャカルタへ向かいます!
つづきは後編スタースタースター