皆さま、 こんにちは、
『越境コラボ塾』 塾長の 真門 です。
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このブログは、日本人が国境・国籍の枠を超えて、
世界の様々な人々とコラボレーションをしていけるよう、
有益と思われる情報を発信しています。
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日本人の認知特性、というテーマで
『越境コラボ塾』 第5回を、昨日開きました。
私達は様々な外界情報を、視覚、聴覚、嗅覚などの
知覚器官を通じて得ています。
個人的にそれら知覚器官の性能や感度には差異が
ありますが、得ている情報自体は同じもののはずです。
ですが、同じ匂いでもある人は心地よさを感じ、
ある人は違和感を抱く。
また、別の人は匂いの刺激で、
過去の出来事を思い出すかもしれません。
つまり、同じ情報を得ても、その意味づけの仕方は
様々に分かれてきます。
この“意味づけ”が為されるプロセスを
“認知” そしてそのプロセスの偏り、クセを
“認知特性”と、ここでは呼んでいます。
今回は、
日本人がかなりの程度に共有している“認知特性”について、
御一緒に探求してみました。
例えば、私達はよく
“肝心なところを聞き漏らした”
なんて言いますね。
逆に億劫になってくると、
“軽く聞き流す” なんてこともあります。
この時“漏らす”、“流す“ の様に液体表現がよく使われる。
同様に、
言い淀む、ぶつぶつこぼす、タレこみ、うちとける、等。
これは、日本人がコミュニケーションを液体の如く
捉える傾向を持っている事を示しています。
英語にも似たような表現はありますが、それほど
一般的ではない。
むしろ、
I got it! (分かった!)
I can’t catch your words, please speak slowly.
(聞き取れないから、ゆっくり話して)
の様に、情報を固体として捉えるケースが圧倒的です。
これらは文学の世界の話ならば、
ああ、感じ方が違うんだなー、面白いなー、
という事になる訳で、
それはそれでよいわけですが、
一緒に仕事をするという局面では、
結構厄介な話になってきます。
御想像がつくように、“液体”型は境界が曖昧です。
“伝えた”という言葉自体も、液体とまでは行かなくても
連続体的性質を有していて、それはつまり
“伝えた” と言っても “伝えきった” のか “伝え始めた”のか
どの辺りに居るのか、よく分からない。
大方で共有される意味としては、
“伝えた”といっても、関係が切れてはいない。
あっちとこっちが繋がったまま、という感覚だと思います。
だから“ホウレンソウ(報・連・相)”の様な
見方によっては中途半端なコミュニケーションが、
“あたりまえ”の流儀としてまかり通ることになります。
これに対して“固体”的コミュニケーションの基本は、
一回一回の“伝え切り”が原則。
仕事にせよ責任にせよ、
境界線をはっきりさせる志向性が働きます。
投げて相手の手に届いたものは、
完全に自分の手から離れてしまう。
関係が切れちゃうのです。
日本人は “任せた” と言いながら、
後から細めの“ホウコク"を求める、とか、
“任された”と思って自分で判断して失敗したら、
何で”ソウダン“しなかったのか、と叱られたりする。
そういう話が、外国人スタッフからよく出てくるのは、
こうした認知の仕組みにも原因があるらしいと、
考えられるわけです。
“液体”型 と “固体”型が、一緒に仕事をする、というのは、
“ホウレンソウ”を巡る議論とも、繋がってくる訳ですね。
日本人のグローバル化には、色々な壁がありますが、
この辺りの壁は、あり方、生き方、関わり方の本質とも
繋がってくるもので、
興味の尽きないテーマではありますが、
実際、中々厄介なものであるということは、
確実なのだろうと思います。
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最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
『越境コラボ塾』 塾長
真門
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