デビュー20周年記念 B'z LIVE-GYM Pleasure 2008 -GLORY DAY- のツアータイトルチューン。
作者の作詞メモによると本作品のテーマは「You're the best.」であるという。
You're the best. か…わかる…
グローリーデイズ は数多ある B'z の楽曲の中で私の最も好きな曲のひとつです。
同一アルバムに収録されている いつかまたここで と双璧を成す名曲中の名曲。
あの日から今でも私の中の大切な部分にいつもあり続ける曲。
Bro. の間でも未だに絶大な人気を誇っています。
私が本作品を好きな理由は個人的感傷も多分に関係しているんですが、それだけで数多ある B'z の楽曲の中から飛び抜けた存在になるわけではありません。
非常に思い出深い LIVE で演奏されたことは理由のひとつだと思います。
しかし私が何より本作品を愛してやまない最大の理由は本詞で示された愛情表現の素晴らしさと、それを言語化した作者の卓越した語彙力によるものです。
そのあたりに注目しながら今回は特に全力解釈していきたいと思っていますので良かったらお付き合い下さい☆
きっと長くなりますよ(笑)
まず、タイトルの グローリーデイズ を直訳すると【栄光の日々】となり転じて "輝いていた日々" とか、思い切った意訳をするなら "君とすごした日々" という意味になります。
"君とすごした日々" か…悪くない♬
タイトルはこの翻訳でいきましょうww
タイトルがこうですから内容も "君とすごした素晴らしい日々を振り返る主人公" の姿が描かれており、主人公の目線で物語は進んでいきます。
たしかツアーMCでは いつかまたここで と同様ファンを想って制作されたというお話があったと思います。
言葉の端々で "昔馴染みとの友情" を感じさせるフレーズはあります。
たしかにそれは感じることが出来ますがあくまでテーマの核になっているにすぎませんね。
このように感じ方に幅があるのも作者の卓越した表現力のなせる技があってのことだと感心しますが、実際は友情より愛情の方が色濃く反映されています。
ですから私の解釈は主人公の『僕』と『君』は恋人関係にあった前提で稿を進めます。
もちろん個人的感傷抜きでそう思っていますから(汗)
ふたりの恋人関係は冒頭のフレーズからすでに窺い知ることができます。
『雨あがりの道路(みち) また歩き出した時 橋のむこうに 虹が出たんだ ならんで見たのはいつ?』
そのまま解釈するならただの情景描写ですが、稲葉詞では「雨」を "苦しみや哀しみ" の比喩として多くの曲で遣われています。
ですからこのフレーズは情景描写に主眼をおきつつ、主人公である「僕」が "「君」を失った哀しみや苦しみから立ち直った描写" という側面をもつことになります。
あえて側面と表現したのはこの情景描写が後々になって非常に重要なファクターになるからで完全な比喩ではないからです。
それはいったん横へ置いておいて今は先へ進みましょう。
ちなみに「虹」はここではただの情景描写。
これも後の重要な伏線になっていますのでここでの情景描写はくれぐれもお忘れなきよう。
『Tシャツが ぐしょぐしょに 濡れても笑い歌う ふたり 何のためらいも不安もなくて まぶしい歓びだけ』
このフレーズには友情を感じさせる表現がいくつかあります。
簡潔にまとめるなら "幼い頃の思い出" みたいな感じもしませんか?
しかし私は恋人説派ですから無視しますけどね(笑)
比較的理解しやすい "幼い頃の思い出" でないとするとこのフレーズは若干意味不明かもしれませんが、「Tシャツ」は "若さ" の比喩で「ぐしょぐしょに濡れても」は "辛いこと" の比喩だと考えれば良いと思います。
そうするとほら?一緒にいられる「まぶしい歓び」が存分に感じられますよね。
『こんな僕に がまん強く つきあってくれたよね (Thank You)』
そしていよいよ神フレーズの登場です。
そしていよいよ神フレーズの登場です。
たった一行のこのフレーズを決定するために稲葉クンが四苦八苦していたのは映像を通して皆さんの記憶にも残っていますよね。
ほんの少しの言い方ひとつで、たったひと文字の送り仮名ひとつで印象がガラリと変わってしまう日本語の難しさをまざまざと見せつけられました。
しかし何故これを私が神フレーズと呼ぶのか?
それはこのたった一行に稲葉詞のすべてのフェミニズムが集約されていること。
それを誰にでもわかる言葉で表現したこと。
これが私が神フレーズと呼ぶ所以です。
詞の意味は不要でしょう?…
…でもそれ以上に、これは当時の私自身のことだったんですよね…
こんな僕に本当に我慢強く、よくつきあってくれたな…って。
自分では言語化出来なかったけど、大好きな B'z が言葉に出来ない気持ちをちゃんと言葉にしてくれた。
この感動は言葉ではとても言い表せません。
だからフレーズが神なんじゃなくて、本作品を世に送り出してくれた B'z が神って言った方が個人的には正しいのかも。
初めて聴いた瞬間から今に至るまで私は、たとえ大好きな人と別れてもこんな風に考えられる人になりたいと強く願っています。
別れても心からちゃんと "ありがとう" って言える人に私はなりたい。
そんな人になれていますか?
ここから畳み込むように神フレーズは続きます。
『Glory Days 一緒にいるだけでいい 奇跡のような 瞬間の連続 今日も その柔らかい力に包まれて 僕は前を見てる』
こちらも言葉に出来なかった気持ちを見事に言い表してくれました。
私に、大好きな人と「一緒にいる」ことが本当は「奇跡のような 瞬間の連続」だったんだと気付かせてくれた大切なフレーズ。
そんな風に思えるほどの愛おしい人と出会えた幸せに気付かせてくれた大好きな大好きなフレーズ。
たとえ別れてもこの胸にあるその人への感謝の気持ちは消えて無くなることはありません。
そういう想いを表現してくれているフレーズだと思います。
もちろん B'z と時間を共有出来る LIVE の空間も「奇跡のような 瞬間の連続」に決まっていますけどねww
『しゃべり続けてた 電話が熱くなるほど そんな 無邪気な季節を越えて どれくらい 時は流れた?』
こちらも若干友情を感じられるフレーズです。
「電話」で長くしゃべったり「無邪気な季節」というワードはおそらく "若さ" の表現でしょう。
しかし友情説はこのあたりが限界。
ちなみに恋人説なら "若さ" と加えて "付き合い始め" という解釈もアリになります。
もし幼馴染で長く付き合っていたカップルを想定すると本作品から感じられる爽やかさや潔さが辛いものへと変わってしまうので "付き合い始め" って解釈した方がベターだと思います。
『手をつないでくれた時 生きてく理由を知った (I Love You)』
つなぐではなく「つないでくれた」という実に作者らしい表現が大好きなフレーズ。
実にさり気ないんですが「(I LOVE YOU)」をカッコで表現してくれたことで友情説を否定しないで済んだと思うんです。
これがもしカッコではなく詞のどこかにそのまま表記されていたら恋人説一本の解釈になってしまったでしょう。
カッコ内のフレーズも油断出来ないのが稲葉詞ですww
『Glory Days 君に救われた日々 自分のことを ちょっと好きになれる どんなに この街が姿を変えていっても この胸に愛はある
Glory Days 一緒にいるだけでいい 奇跡のような 瞬間の連続 命はてるときが来ても 燦然と輝く 笑顔だけあふれる』
Glory Days 一緒にいるだけでいい 奇跡のような 瞬間の連続 命はてるときが来ても 燦然と輝く 笑顔だけあふれる』
「自分のことを ちょっと好きになれる」は主人公の自信の無さを表していますからこのフレーズからも作者のフェミニズムと高嶺の花思想を感じることが出来ます。
それより何より「君に救われた日々」って(号泣)…
本作品を聴くまでこんな風に考えたことはありませんでした。
何様だよ⁉︎って感じなんですけど、正直救っているつもりはあった…けど本当は逆だったんだね。
たしかにあの日々に救われていたんだ。
そしていよいよラストフレーズ。
『Glory Days 二度と戻らない日々 胸をはって ここから歩くよ どこかで きっと新しい虹を見つめている 君のこと想う また出会える日を想う』
冒頭の情景描写を思い出して下さい。
同じ「虹」という言葉が出てきます。
冒頭のフレーズでは本物の「虹」と解釈しました。
しかしここでの「虹」はそのまま解釈するわけにはいきません。
稲葉詞での「虹」は "新しい希望" のような意味の比喩です。
ストレートにいえば "今カレ" とでもいいましょうか。
冒頭で引かれた壮大な伏線はラストでようやく回収されたわけです。
今度はしかし冒頭とは逆で、そのまま本物の「虹」と解釈してもまったく問題ないところが本詞と作者の本当の意味で凄いところなんですね。
二重にも三重にも意味を重ねていながら言っていることは非常にシンプル。
これが最高の証です。
…おそらくもう涙なしでは聴けない曲だと思います。
あの日、会場へ向かう車の中で。
初めて一緒にこの曲を聴いた時。
何故か一緒に泣いてしまったんですね。
お互い涙の理由はわからないまま。
ただただわけもわからず二人で泣いていたんです。
音楽を聴いて泣いたのはそれが初めての経験だったと思います。
私にとっては何から何まで特別な曲です☆