1993年5月、Jリーグの初観戦となったマリノス対G大阪戦。
横浜育ちの者は、体育大会とかで、三ツ沢の陸上競技場にはたいてい行ったことがあるだろう。
おれもそうだ。
しかし、球技場は初めてだった。
スタンドに上がって最初に思ったのは、”近い”ではなく、”小さい”だった。
思い起こすプロスポーツの会場と言えば、やっぱり横浜スタジアム、そして先週見た国立競技場、 それらに比べれは三ツ沢球技場はずいぶん小規模だから無理もない。
おれたちが陣取ったのは、ホーム側のゴール裏とバックスタンドの中間あたり、座席が斜めになってるあたりだった。その最上段。
その頃のJリーグの熱狂ぶりは未だに語り草ではあるが、確かにそうだった。
いわゆるおまつり騒ぎってやつだ。
もちろん、おれたちも例外じゃなかった。
試合を見てないってわけじゃないが、とにかく件のチアホーンを吹き鳴らして大騒ぎしながら観戦していた。
その、チアホーンってやつ、そんな精神状態だから加減なく思い切り吹くわけだが、すぐに頭がくらくらしてくる。
金管楽器プレイヤーの大変さが分かった。
しかも、安物のせいか、前半途中で音が出なくなってくる。
日本リーグ時代からマリノスを応援していたリーダーたちもいて、一緒に声援を送ってはいたんだが、コールとかはもちろんよく知らない。
”おーおーおーおー横浜マリノス”っていうコールと、”きむーらかずし”、”みずぬまたかし”コールだけはやってた。
みんなあんまりわかってないんで、”きむーらたかし”とか叫んでるやつもいたなあ。
試合は、0対0のまま、延長サドンデスに入った。
サドンデスってのは突然死を意味し、いまでいう延長Vゴールだ。
縁起が悪いってことで、のちに名称が変わった。
勝負は、木村和司のFKからビスコンティのゴールで決まった。
スタンドはとにかく大騒ぎになった。
帰り、五番街近くの居酒屋で祝勝会をやったおれたちは、よしまた来ようなどと、試合日程を見ながら予定を立てていたんだが、その後チケットはプレミアム化して全く入手できなくなった。
また、しばらくして、マリノス公式のチアホーンも入荷したんだが、あまりうるさいんで苦情が多かったらしく、チアホーンはJリーグの会場では使用禁止になった。