「マルホランド・ドライブ」 出演/ナオミ・ワッツ、ローラ・エレナ・ハリング 他
◆女優を夢見てハリウッドにやってきたブロンドのベティ。叔母の留守中アパートを借りることになったベティは、
そこに迷い込んできたブルネットの美女・リタと出会う。リタは交通事故に遭い記憶を一切失っており、
覚えているのは「マルホランド・ドライブ」という言葉だけだった。
ベティはリタに惹かれ、同情と好奇心からリタの記憶を取り戻す手助けをしようと決意する―。
オススメ度 ★★★★★★★★★★10
◆「ロスト・ハイウェイ」であまりに難解な内容を突きつけ、「ストレイト・ストーリー」で一転してええ話映画を作って「どうしたの?」と思わせたリンチが完全復活したと思わせる映画です。「ロスト・ハイウェイ」の雰囲気とイライラするほどの不可解さを持ち越しつつ、でも不思議なおもしろさに溢れています。主人公の二人のヒロインの対照的な魅力。50年代のレズビアン・パルプフィクションを踏襲して、イノセントなブロンドの女を、妖艶なブルネット(黒髪)の女が誘惑し、破滅へと導いていく。
徐々にかつ刹那的に謎へと誘っていくリンチ映画の心地よさ。全く理解不能の謎へのもどかしさ。病笑はかなり好きなんですが(笑)。
物語のキー的に登場するブルー・ボックスを開けてしまった後、ベティはダイアン、リタはカミーラという別の名前別のキャラクターとなって物語も全く変化してしまい、どうなってるの?と思いますが、大方の解釈では、ブルーボックス以後(後半)の、ダイアンを主役とした悲劇的な話が現実であり時間軸として最初、そしてラストからまたブルーボックス以前(前半)の世界に戻って、そこから「ダイアン」が「リタ」になる、ダイアンにとってまさに夢のように素晴らしい世界が展開する。
キャラクターとしてはベティがダイアンでリタがカミーラの姿をしているが、病笑個人の解釈では、前半部分で交通事故を起こして記憶を失ってしまうリタこそが、ラストに銃で自殺を図ったダイアンにリンクしているんではないかと思う。自殺時の銃声と事故時の轟音もカブる。ウエイトレスの名前がダイアンであることに反応したりするとこも。そして前半の主人公の一人、希望に満ち愛らしく才能溢れる女優の卵「ベティ」というのは、現実世界では二流の女優にしかなれなかったダイアンが本来理想としていた自分の姿の具現化なのではないか。そしてそんな理想的な自分=ベティに、リタとなったダイアンは全面的に縋る。この、ベティしか縋るものがなくベティに強い好意を持つリタ=後半でのカミーラ、の姿も、ダイアンが理想とした自分だけを愛してくれるカミーラ、を象徴しているように思う。二人が親密になって、リタがベティと同じ髪型髪色のカツラを被り出した時点でリタもまた「ダイアン」としての部分を顕著に表し始め、肉体関係を結び二人は更に同一化していく。関係を持ち満足を得たところでリタがクラブ・シレンシオのことを思い出すのも、クラブ・シレンシオが「死後一歩手前の世界」であり、前半の夢の部分は既に自殺してしまったダイアンが死の世界に足を踏み入れる前にみている不思議な夢の世界というふうに考えれば、認めたくない自分とそしてカミーラの死に対してシレンシオ=黙祷、を捧げられていること、泣き女の歌の歌詞からダイアンであったときの自分の心情を思い出して同一化しているベティとリタ二人ともがたまらずに泣くのもわかる。そしてクラブから帰ったあと、リタが持っていたブルーボックス(これもまた死を象徴するアイテムのような)に、ベティの鞄から出てきた青いキーを差し込もうとした時、不意にベティが消えてしまうのは、そこで理想的な夢は終り、なので理想像であるベティもそこで役目は終り。あとは自分の死を受け入れなければならないリタ=ダイアンが残され、ブルーボックスを開けることで死が確定する。そのあとルースおばさんが部屋に入ってくるのは、まあ自分でもこの解釈はどうかと思うが(死)現実世界ではおばさんは死んでいるので、既に死後の世界に入りましたよ、という意味合いが込められているんじゃなかろうか。そのあと更に、おそらくダイアンのものであろう死体に向けてカウボーイが「起きろ」というのは、死んでなお夢に浸るダイアンを死神が迎えにきたという感じでは。ちなみに前半が「夢」だと確信できるネタは、登場人物が全てダイアンの記憶の中にインプットされていた人間たちであることや、ウィンキーズの眉毛男(笑)ダンが、夢の中で不気味な男を見た、あんなものは夢以外の場所でお目にかかりたくない、というセリフを言い、実際に不気味な浮浪者に遭遇してしまうことから、そこが「夢」の世界であるということを暗に示している。この浮浪者がぬうっと出てくるシーン異様に怖いんですが私だけですか?
後半は落ちぶれ女優ダイアンを軸としたまさにハリウッドナイトメアらしいドロドロした悲劇が展開される。カミーラを愛するダイアンが、アダム監督にカミーラを横取りされてしまった憎悪は、ダイアンの夢の中において復讐を果たされる。そして現実世界で可愛さあまってカミーラを殺し屋に始末させてしまったダイアンは、罪の意識に苛まれ、混乱し、不気味な老夫婦に襲われる幻覚を見て発狂しながら自殺を図る。そして物語は前半部分に巻き戻る……というもの。まあこれでも全然おおざっぱな解釈で、細々した謎はたくさんありそのへんは全然わからん(死)。解釈だけなら星の数ほど出来る映画です。
とにかくうならずにはいられない謎だらけのリンチ節炸裂で、ファンとしては楽しい映画でした。わからない話は嫌いと言う人にはお勧めしませんが。
しかしそもそもTVシリーズ製作の企画で書き上げられたこの作品。しかし黒い人々からNGが入りあえなくTVは中止。でも主人公のヒロイン達を取巻く様々な色濃いキャスト達は数分のみのストーリーで終止させてしまうにはかなり惜しい。TVででも観てみたかった。(02/4)
◆女優を夢見てハリウッドにやってきたブロンドのベティ。叔母の留守中アパートを借りることになったベティは、
そこに迷い込んできたブルネットの美女・リタと出会う。リタは交通事故に遭い記憶を一切失っており、
覚えているのは「マルホランド・ドライブ」という言葉だけだった。
ベティはリタに惹かれ、同情と好奇心からリタの記憶を取り戻す手助けをしようと決意する―。
オススメ度 ★★★★★★★★★★10
◆「ロスト・ハイウェイ」であまりに難解な内容を突きつけ、「ストレイト・ストーリー」で一転してええ話映画を作って「どうしたの?」と思わせたリンチが完全復活したと思わせる映画です。「ロスト・ハイウェイ」の雰囲気とイライラするほどの不可解さを持ち越しつつ、でも不思議なおもしろさに溢れています。主人公の二人のヒロインの対照的な魅力。50年代のレズビアン・パルプフィクションを踏襲して、イノセントなブロンドの女を、妖艶なブルネット(黒髪)の女が誘惑し、破滅へと導いていく。
徐々にかつ刹那的に謎へと誘っていくリンチ映画の心地よさ。全く理解不能の謎へのもどかしさ。病笑はかなり好きなんですが(笑)。
物語のキー的に登場するブルー・ボックスを開けてしまった後、ベティはダイアン、リタはカミーラという別の名前別のキャラクターとなって物語も全く変化してしまい、どうなってるの?と思いますが、大方の解釈では、ブルーボックス以後(後半)の、ダイアンを主役とした悲劇的な話が現実であり時間軸として最初、そしてラストからまたブルーボックス以前(前半)の世界に戻って、そこから「ダイアン」が「リタ」になる、ダイアンにとってまさに夢のように素晴らしい世界が展開する。
キャラクターとしてはベティがダイアンでリタがカミーラの姿をしているが、病笑個人の解釈では、前半部分で交通事故を起こして記憶を失ってしまうリタこそが、ラストに銃で自殺を図ったダイアンにリンクしているんではないかと思う。自殺時の銃声と事故時の轟音もカブる。ウエイトレスの名前がダイアンであることに反応したりするとこも。そして前半の主人公の一人、希望に満ち愛らしく才能溢れる女優の卵「ベティ」というのは、現実世界では二流の女優にしかなれなかったダイアンが本来理想としていた自分の姿の具現化なのではないか。そしてそんな理想的な自分=ベティに、リタとなったダイアンは全面的に縋る。この、ベティしか縋るものがなくベティに強い好意を持つリタ=後半でのカミーラ、の姿も、ダイアンが理想とした自分だけを愛してくれるカミーラ、を象徴しているように思う。二人が親密になって、リタがベティと同じ髪型髪色のカツラを被り出した時点でリタもまた「ダイアン」としての部分を顕著に表し始め、肉体関係を結び二人は更に同一化していく。関係を持ち満足を得たところでリタがクラブ・シレンシオのことを思い出すのも、クラブ・シレンシオが「死後一歩手前の世界」であり、前半の夢の部分は既に自殺してしまったダイアンが死の世界に足を踏み入れる前にみている不思議な夢の世界というふうに考えれば、認めたくない自分とそしてカミーラの死に対してシレンシオ=黙祷、を捧げられていること、泣き女の歌の歌詞からダイアンであったときの自分の心情を思い出して同一化しているベティとリタ二人ともがたまらずに泣くのもわかる。そしてクラブから帰ったあと、リタが持っていたブルーボックス(これもまた死を象徴するアイテムのような)に、ベティの鞄から出てきた青いキーを差し込もうとした時、不意にベティが消えてしまうのは、そこで理想的な夢は終り、なので理想像であるベティもそこで役目は終り。あとは自分の死を受け入れなければならないリタ=ダイアンが残され、ブルーボックスを開けることで死が確定する。そのあとルースおばさんが部屋に入ってくるのは、まあ自分でもこの解釈はどうかと思うが(死)現実世界ではおばさんは死んでいるので、既に死後の世界に入りましたよ、という意味合いが込められているんじゃなかろうか。そのあと更に、おそらくダイアンのものであろう死体に向けてカウボーイが「起きろ」というのは、死んでなお夢に浸るダイアンを死神が迎えにきたという感じでは。ちなみに前半が「夢」だと確信できるネタは、登場人物が全てダイアンの記憶の中にインプットされていた人間たちであることや、ウィンキーズの眉毛男(笑)ダンが、夢の中で不気味な男を見た、あんなものは夢以外の場所でお目にかかりたくない、というセリフを言い、実際に不気味な浮浪者に遭遇してしまうことから、そこが「夢」の世界であるということを暗に示している。この浮浪者がぬうっと出てくるシーン異様に怖いんですが私だけですか?
後半は落ちぶれ女優ダイアンを軸としたまさにハリウッドナイトメアらしいドロドロした悲劇が展開される。カミーラを愛するダイアンが、アダム監督にカミーラを横取りされてしまった憎悪は、ダイアンの夢の中において復讐を果たされる。そして現実世界で可愛さあまってカミーラを殺し屋に始末させてしまったダイアンは、罪の意識に苛まれ、混乱し、不気味な老夫婦に襲われる幻覚を見て発狂しながら自殺を図る。そして物語は前半部分に巻き戻る……というもの。まあこれでも全然おおざっぱな解釈で、細々した謎はたくさんありそのへんは全然わからん(死)。解釈だけなら星の数ほど出来る映画です。
とにかくうならずにはいられない謎だらけのリンチ節炸裂で、ファンとしては楽しい映画でした。わからない話は嫌いと言う人にはお勧めしませんが。
しかしそもそもTVシリーズ製作の企画で書き上げられたこの作品。しかし黒い人々からNGが入りあえなくTVは中止。でも主人公のヒロイン達を取巻く様々な色濃いキャスト達は数分のみのストーリーで終止させてしまうにはかなり惜しい。TVででも観てみたかった。(02/4)