忠清北道3都物語(大田・永同・沃川・報恩・大邱 6/15~19)レポ
こちらの記事↓のつづきです。
7/18 忠南5都物語 釜山編② 製鉄工場をリノベした複合施設で手作リ生ビールを@プラハ993
いよいよ最終日(7日目)。
朝食は、西面駅前のピョルナンミョルチクッス2800ウォンでミルミョン(4千ウォン)を。5月に食べたコングッスといい、お安いのにレベルが高い麺料理をいただけるフランチャイズ店です。
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南浦駅から目的地へ向かう途中、
日韓友好の通りのシンボルとして日本に派遣された朝鮮通信使行列のうち、正使の行列を表したモニュメントがありました。
2003年に開館した釜山近代歴史館へ(釜山広域市指定記念物第49号)。
日本統治時代である1929年に東洋拓殖株式会社 釜山支店として建設され、日本からの開放後、米軍の宿舎として使用された後、1949年からはアメリカ文化院として50年間使用された建物とのこと。
釜山の近代史が写真、映像、模型でわかりやすく説明されています。
土日の11時、14時、16時に文化解説士が説明してくださるんですね。
1876年の開港後、釜山から朝鮮の米を日本へ調達し、朝鮮の市場に日本の工業品を販売するために、大勢の日本人が釜山に渡ってきました。日本人居留地を管理するために、開港直後の1876年に管理官庁、1880年に領事館を設置しました。1906年に理事庁を設置し、日本人の自治組織である居留民団を組織し、釜山を行政的に支配するため、1913年に釜山府を設置しました。
日本は米の収奪のために、土地調査事業や産米増殖計画などの農業振興政策を行いました。その一環として洛東江(ナクトンガン)堰を築き、肥沃な農耕地である金海(キメ)平野を拡大し、朝鮮人から高額な小作料を搾取することにより大地主へと成長していきました。
日本は釜山に波止場や駅、税関などの港湾物流施設を建設し、満州やアジア諸国を占領する上で釜山は架け橋の役目を果たしました。
「釜山の近代街道」には
日本統治時代に日本語の看板が掲げられた商店が再現されています。
釜山運動場行きの電車内では、おじが甥に日本が釜山を統治した背景について説明する映像が流れます。(日本語字幕表示があり、かなり生々しい内容です)
急速に工業化・産業化した日本。
農業従事者が急激に減少し、米の価格が高騰し食糧不足に。
それを補うために、日本政府は朝鮮から米を収奪し、食糧不足を解決しようと考えた。
甥が憲兵隊の悪口を言った途端、おじは「誰かに聞かれたらどうする」と甥に声を潜めるように注意する一幕も。
全ての展示に日本語表記があり、大変勉強になりました。
釜山近代歴史館(부산근대역사관)
住所 釜山広域市中区大庁洞2街24-2(부산광역시 중구 대청동2가 24-2)
道路名住所 釜山広域市中区大庁路104(부산광역시 중구 대청로 104)
電話番号 051-253-3845
観覧時間 9~18時(入場は17時まで)
毎月最終水曜日は20時まで観覧可能
休館日 1月1日 毎週月曜日
ホームページ→ ★
次に、朝鮮通信使歴史館へ。
朝鮮通信使は、室町幕府と朝鮮王朝間の外交問題を解決するために各々使者を派遣したことから始まり、秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)により中断。江戸時代に入り再開されたそうです。
この博物館では、1607年~1811年まで12回に亘って日本に派遣された通信使について紹介しています。
通信使の6隻の船と、それを警護する日本の船が上関に入港した様子を描いた模型。
日本に到着した朝鮮通信使を歓迎する様子描いたアニメが上映されていました。
3汁15種類のおもてなし料理や、日本から送られた銀や扇など。
朝鮮通信使歴史館(조선통신사역사관)
住所 釜山広域市東区凡一2洞380-4(부산광역시 동구 범일2동 380-4)
道路名住所 釜山広域市東区子城路99(부산광역시 동구 자성로 99)
電話番号 051-631-0858
開館時間 9~18時(入場は17時半まで)
休館日 1月1日、毎週月曜日(月曜が休日の場合は翌日)
大邱の情報は↓こちら↓をクリック
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