ライブ当日の土曜日、部活は五時過ぎに終わり、私と好花と陽菜はそのまま電車に乗って、立川に向かった。電車内の長椅子に、何故か三人並ばずにバラバラで座る。自然と会話はなかった。車内には人はまばらで、電車の揺れる音だけが響く。その沈黙を最初に切ったのは、陽菜だった。

「美玖、今日行く『So What』には、よく行くんだよね?どんな場所?」

「う~ん、そんなに広くはないよ。四人机が二十個くらいと、あとはカウンターがL字に二十席くらい。ステージもそんなに大きくない。でも、一応グランドピアノが置いてある」

「え~、ってことは、満員だと百人は入るってこと?」

 陽菜が、エレキベースが入ったソフトケースを抱きしめながら言った。

「やっぱり、部活でやるのとは緊張が違うよ。いつもは、指揮者だっているし、メンバーだっていっぱいいるから、心強いけど。今日は、指揮者もなしに、私たち四人でやりとげなければいけないんだね」

 そう言いながら手のひらを膝にペチペチと当ててリズムをとる好花。要するに私たち三人は、すごく緊張していた。

 電車は、すぐに立川についた。なぜ緊張している時というのは、時間が進むのが早く感じるんだろう。駅を出て会話もなしに三人で歩く。何故か、三人とも先頭を譲るように歩いているから、歩くスピードがとても遅い。「So What」の前に着くと、地下の入り口に続く階段には、開店前で、まだチェーンがかかっていた。私の背中を押す陽菜。仕方なく、私が最初にチェーンを超えて階段を降りる。木製の古びたドアを開けると、受付の席に座っている女性の店員に声をかける。

「あ、久美さん。こんばんは」

「あぁ、美玖。と、バンドのメンバーちゃん達かな。控室はこっちだから、ついてきて」

 背の高い凜とした女性について行く。

「ふふっ、なんか三人とも緊張してるね」

「は、はい」

「私は佐々木久美。大学四年で、ここはもう三年くらい働いてるかな。はい、ここが控室。じゃぁ、菜緒のこと呼んできてあげる」

 好花と陽菜に自己紹介をして、久美さんは去っていった。私と鈴花は「So What」に、月に三、四回通っていて、菜緒と仲が良いことから、お店の人たちとはすっかり顔見知りだ。

 ステージの裏の大きな控え部屋。折りたたみ式の机が四角状に並べられているが、そこは今日のメインのアーティストたちが座る場所。私たちは、隅っこのパイプイスに腰掛ける。

 控え室のドアが開く。一瞬心臓の動きが早くなる。アーティストが来た、と思ったが、そこには、顔を青くした菜緒がいた。

「みんな、おはよう」

「菜緒、顔色悪いけど大丈夫?」

「うぅ、緊張で胃が痛い。あと、美玖も顔青いよ」

「ははっ、みんな、緊張してるんだよ」

 四人で並んでパイプ椅子に座る。好花がドラムスティックを取り出して、太ももに叩きつけてリズムをとる。私たちも、それにつられて自然に指が動く。木目調の頑丈な壁には、防音のための小さな穴がたくさん空いている。静かな広い部屋に、好花が刻む、パタパタパタパタと言う太もものリズムだけが響く。

 重いドアが開く。落ち着いたシックな服を着た大人たちが五人、マスターと共に部屋に入ってくる。今日のメインアーティストのメンバーだ。私も鈴花も知らないバンドだったが、ジャズ界ではそこそこビッグネームらしい。私たちは反射的に立ち上がった。私たちとは違って、落ち着いた余裕を醸し出す大人たちの前で、自然と背筋が伸びる。

「おや、彼女たちは?」

 一人の、口ひげを蓄えたダンディな男性(40過ぎくらいだろうか)がマスターに尋ねた。

「彼女たちに、みなさんの前座を務めてもらいます」

「はははっ!可愛らしくていいじゃないか!場が和んで、僕たちもやりやすくなるよ」

 カチンときた。可愛らしい?場が和む?違う。私たちは、戦いに来たのだ。

 気がついたら、前に歩き出していた。「ちょっと、美玖?」と言う菜緒の声を聞き流して、口髭の男性の前に立っていた。

 

「こんばんは。お嬢ちゃんがリーダーかな?”僕たちの前座”、よろしく頼むね」

 

「はい、精一杯やります。”私たち自身”のために」

 

 わざと抑揚をつけて言った。自分でも不思議なくらいに、男性の目を見据える目が動かない。部屋中が静かになり、壁に空いている小さな穴たちに音が吸い込まれていく。何秒かして、口髭の男性が口を開く。

 

「…いいね、そういうの。昔の自分を思い出すよ。そうだ、音楽は誰のためでもない、自分のためのものだものね」

 

 菜緒に引っ張られ、後ろに下がる。好花が男性に向かって何度も頭を下げ、陽菜はただアワアワしている。マスターも頭を下げている。男性は「いいよいいよ、僕の方が失礼だった」と言っていたが、後でマスターには謝っておこう。