転落事故が3件有った川崎の老人ホームでの虐待のニュースが流れている。

高齢化社会の象徴とも言えそうな事件だが考えさせられる事も多い。


介護人口の不足も問題だろうが、一番の根源は核家族では無いかと思う。


今の介護される方の世代は、高度成長期に子供が核家族となって巣立っていった世代が多いように感じる。


私は田舎の生まれだが、子供の頃は祖父母と同居だった。

しかし、友人の半数以上は祖父母と同居していなかったように思う。


年寄りと同居するという事実は生やさしい事では無い。

その中には不満や我慢が充満する。

一方で、年配者に対する思いやりとかを含めて自分の精神が育つのである。


もっと大きいのは、老いの不自由さだったり、最終的には人の死に直面して、おのずと人の生命の大切さを学ぶ事である。


今の子供世代が残虐だったり、人を思いやる事が出来ないのをテレビゲームのせいだと聞く事がある。

確かにそれも一因ではあるだろうが、父母の一つ上の世代を知らない為だと私は思っている。


話を元に戻そう。


そういう自身の身近な年寄りを知らない若者達が、仕事として介護職を選び、見ず知らずの年寄りの世話をする。

相手は年老いているとは言え人間である。まして、寝たきりだったり認知症を患って居られる方のお世話は恐らく、その労力や精神的な疲弊は、昔でいう3kどころでは無かろう。


そう考えると介護や介護施設の問題は、単に虐待の問題では無くもっと根が深いように感じる。


私自身もそう遠くない未来に介護される側になる事だろう。

それを踏まえると介護施設の充実もそうだが、在宅介護の充実に力を入れて頂きたいと思う。

家族と職員。双方痛み分けでは無いが、家族と介護職員の双方が肉体的にも精神的にも負担を軽減する方法を考慮して欲しいものである。


いっそ誰か介護用のアンドロイドを開発してくれないだろうか?

要介護者の思考だけで行動を補助してくれるアンドロイドが開発出来れば、日本の経済も先行きバラ色だろうし(笑)





たまさかに心霊ネタを書くのでちょいと一文。

いや、これは心霊ネタでは無いかも知れないが。


私達がごく普通に使う言葉で「残念」という言葉がある。

大辞泉で見ると「もの足りなく感じること。あきらめきれないこと。 悔しく思うこと」とある。


その一方で残留思念と言う言葉がある。

こちらは霊的な思念として用いられる事が多い。


全く異なる意味で用いられている言葉だが、私は個人的には同じ物では無いかと思っている。

辞書で引いた言葉の意味を単純に考えると思うのだが、結局どちらも念(思い)が残る(留まる)と言っている。


今現状で生者か死者かの違いとも言える。


こういう言葉を見聞きすると、日本語とは本当にすごいと思う。

英語など端的で意思の疎通が早いが、こういう細やかな違いの表現は難しいのでは無いか。


ちなみに残念を和英で引くと、様々なシーンでの言葉が表示されるが、残留思念では翻訳出来なかった。


話がバタバタしているが、普通、残留思念と聞くと霊的なものを思い浮かべ、恐ろしい気持ちになる事が多い。


平たく言えば生者死者を問わず、残念は自分が自分に対して思う事だが、残留思念と言えば自分が他人や物に向けて恨む事か?


そんな風に思うと、人からの恨みは買わずに済ませたいものである。


おっと、そうなると「残念でした」と声を掛ける事は、ひょっとしたらもの凄く失礼な事なのかも知れない。

ブログを頻繁に更新される方など、何を題材に書かれているのだろう?

私など、文才の欠片も無いのでいつも悩んでしまう。


有名人や著名人なら、日常の些細な事を発信する事でファンの期待に応えられるという利点も有り、そう悩む事は無いかも知れないが無名のおっさんとなるとそんなワケには行くまい。


まぁ、元々は自己満足で始めた事で、独り言の如くだったがコメントを頂いたり「いいね」を頂いたりすれば身を引き締めないのは失礼かと。


そんな事もあり、最近はちょっとした空き時間に思い付いた事を「単語」でメモしている。

この文章の場合は「ブログネタ」「メモ」と携帯にメモっていた。


文章で思い付く事もあるのだが、私の場合、文章で思い付いた事を実際に文字にすると正直自分で見てもおもしろくも何ともない。

ただでさえ表現力が乏しいのに、薄っぺらい文字の羅列なのである。


そんな理由で私のブログネタの元は「単語」である。

不思議な物で、単語でメモしていると書いているウチに、その時に思い付いた事に更に思い付きが重なって肉厚が付いて膨らんでくる。


いや、膨らんでいると細く笑んでいるのは当の本人だけだろうとは解っている。

でも、勝手な事を書き綴ったブログなんで目にとまった方はご容赦を。