ひと詩庵 -42ページ目

最近詩にタイトルかかけない。

最近メルマガやっていて思うことがある。

サンプルが自分に届いて気づくんですが、詩にタイトルがついてないんですね。

どうしてもつけられないのか、やれるのに手を抜いたのか自問すると、自分で自分に拗ねてしまうという......orz

例えばこんな感じ。





陽射しの中に木霊する

かしまし囀り鬨の声

ねぐらから飛び立つその姿

凛々しくて愛らしくて

思わず目を奪われて

応援している自分がいた

編集・発行:タマ




という按配。

詩心が足りないのかな。




2014/06/21

2014060118340001.jpg

小鳥さんには癒される。

鳴き声ひとつで嬉しくなれる。

単純だわ(笑)

ジャンルを変えていきます。

新しく詩・ポエムを追加しました。

いくつか削除します。


記念に一葉トライします。




小鳥を見ると

平和でいいなと

感じてしまう

命のバトンを

我が子に託そうと

いまここで

一所懸命なのに

たまに遊んでも

次代を担う子らを

学ばせ伸ばすため

とにかく一所懸命

僕に一所懸命に

生きることが

できるだろうか





これからもよろしくお願いします。

6月2日〜6月8日に投稿したなう



誰にもコンサルティングしてない記事内容で、学ぶって何を学ぶんだと歯がゆく思う。返報性を學んでいるのなら、記事に会わせたコメントにすることでリアクションを期待できると思う。
6/3 11:47

5月26日〜6月1日に投稿したなう



ビジネスに使っている人からのアクセスが減ったみたいで平和だ。モバイルで作ったアカウントだから実験はしてもビジネスに使いたくないので。
6/1 19:20

携帯で詩を書いているのは本当の話で、思いつくのが自宅ではないことに由来する。最近は薬の鎮静効果も手伝ってうつ状態が僕の感情まで道連れに沈静化している。
6/1 19:23

お風呂

お風呂に入ったらどこから洗う? ブログネタ:お風呂に入ったらどこから洗う? 参加中
本文はここから


自分なら、顔からでしょうか。

僕はダメ人間なので、あの子が水浴びするのを手伝うつもりでぬるま湯に浸けてました。

頭から石鹸の泡つけて洗ったものです。

新聞のインクも落ちて、翅は真っ白。

無知なのは怖いですね。

そうやって、小鳥が最低限必要とする油脂まで洗い流して得意げだったから。

知らないことは罪じゃないとしても、知ることのできるチャンスに知らずにいることは罪でしょうね。

痛い子のどこが悪い

正直ですね、傍から見たら、度が過ぎたら完璧に痛い子ですよ。

大往生させたならともかく、そうでなかったら特に確定ですもん。

リスクマネジメントが足りない、行動として愛する行動が足りない、その他にも見る人が見たら気をつけたらいいことをやらないバカ丸出しの幼子のダダと変わらないから。

でもね、思うんですよ。

そういった部分を命がけで授業してくれたんじゃないかって。

命がけで教えてくれたからこそ、あの子への愛情に偽りなどないし、それを覆すなんてことはできはしないからです。

これも一つの命のバトンなのかしら。

小鳥などはコンパニオンバードと呼ぶこともあるんですが、それこそ、あの子の優しさがこちらの方罠愛情を叩き直してくれようと一撃してくれたのですから。

愛する行動が足りなくて、愛情も足らずに死んだのか。

否!

無知を棚に上げて生活を共にしたから死んだのか。

否!

寿命は誰にも算定できないものです。

短命に終わろうと、精一杯愛したからこその、家族の喪失であり、絶望なのです。

誰も共感してくれなかったら、とてもじゃないけど居場所は無明荒野ですよ。

受け入れなくていい。ただ受け止めるだけでいい。

受け入れなくて十分、ただ共感してもらえたらいい。

一つの心が壊れずに、その豊かな感受性と愛情を次の子へと注ぎ込むことができるから。

立ち上がれないのは臆病だからじゃない

幸せを分かち合ったあの子と思い出すたびに、涙がこみ上げてきます。

どうしてできなかったのかと自責に責めさいなまれる日々にはどこにも光が見えません。

だから、新しく小さな家族を迎えるにはとても勇気がいるものです。

怖いんです。

恋に恋して失うのを恐れる気持ちと言えばなんとなく伝わるのではないでしょうか。

まあ、見る人が見れば痛いのは当たり前で、分かっていて、それでいて怖くて孤独なんですよね。

だから、力もわかないし、励ましも空虚に感じてしまうなんて当たり前な感じです。

新しい子を迎えることに、裏切りではないかと恐れる気持ち、心変わりが許せない気持ち、思いこもごもです。

幸せな顔を見せた次の瞬間になくなんて当たり前の世界に居て、誰が味方かわからなくなっているから、傍に居る人も疲れるし、あえて距離を置くなんてのもあるでしょう。

ただ、あの子に学んだことを次の子につなぐことは決して罪でないと心から理解できないと、いわば生きるしかばね見たいっていう状態も続くこともあるでしょう。

次の子をお迎えして愛して幸せにすることが、あの子に学んだことを活かして償ったことになるのだと思う人もいれば、失う虚無感と罪の重さが怖くて二度とお迎えできない人もいるくらいなんです。

だからこそ、共感してくれる人がいてくれることが何よりも立ち直るのに力になるのですが、辛さのピークにはそれも嬉しいけれど、自分が救われることが罪に感じる人もいるので、あからさまにバカにされるのはとてもつらいです。

陰口なんてさらにつらいです。

それでも、辛い人にやさしくなれる力が強くなります。最初は自信が無くて動けなくても、回復するにしたがって、動けるようになるので力になれる事には全力投球で助けになろうとすることができます。

新しく迎える子を愛することが裏切りではないこと、蔑ろにしないことを理解できて、元気を取り戻せます。

今できないから駄目なのか?


できなくていいです。


復活してからやればいいんです。

元気な笑顔のあなた自身が、あの子へ向けての手向けになるのですから。


かえうた

重量増しましてウエスト長くなる

無駄にお洒落しようとしたら

痛いおっさんがニヤリ

リバウンドやらかして

新しいズボン無駄

太ってたときのズボン

再登場

作用で太りやすい薬飲む

夜勤の夜食もの足らん

湯がくうどんばかり増える

ダイエットしなくちゃ

穿けるズボンが足りない

不細工だからっておしゃれくらいしたい

あがいた結果が

リストラ食らったおっさん

それでもめげずにお洒落する







原曲はニワカ雨ニモ負ケズでリバウンドに負けずでお送りしました。

立ち上がれないなら座っていてもいい

理解できない人から見れば、とても痛い人っていうことになるのでしょう。

確かに、家族と言い張ったところで、人間のような命のバトンを繋ぐわけでもないから

理解しようとしない人にはどん底を味わうように辛い思いでいることが分かるわけでもないですし。

ただ、ある意味、感受性が高いことが示せているんですよね。

感情移入して共感した心の柔らかさって言ったらいいのでしょうか。

家族、心友になってくれたあの子の感触はあの子が選んでくれた瞬間から「特別」なものになりますからね。

子供を得た夫婦がわが子の一挙一投足に癒されるように、あの子の一挙一投足に癒しを得る。

これはこれで、ごくごく自然なもので、誰が否定できるというわけでもありません。

というのも、あの子のふとしたしぐさなど、記録に残せなかった姿ですら思い出の中でも宝物になるから。

もうあの瞳を見ることができない、あの感触を味わうこともない、あのこのぬくもりに暖められることもない……

力がわかなくなりますよね。

これも自然な成り行きと言えるでしょう。

あの子という宝の存在がなくなってしまったから。

空元気も元気と言いますが、それができなくても自分が駄目になったわけでも、自分をダメだと思う必要はありません。

あなたにあったあの子とのお別れができたら、自然と立ち上がれますから。

お別れをしたからと言って縁が切れるわけではないと思いますよ。

あの子はあなたの心の中でずっと息づいているのだから。