7月14日〜7月20日に投稿したなう
6月30日〜7月6日に投稿したなう
裏切りと思うのは甘えです
あの子を亡くしてからというもの、辛い日々を過ごしていると、受け止めて共感してくれる人が救いの神に見えてくるんですよね。
そんな折に、その神様が自爆してめっきを剥がすと、あの野郎、だましやがった!なんて逆恨みもしてしまう痛い子が一番つらいご本尊という始末。
確かに逆恨みなんですよね。
共感したからと言って、神様仏様じゃないから、辛い人だけにいい顔だけを見せるなんて芸当は身内であってもつらいものです。
受け入れきれないことに対してその責任がさも自分にあるように感じる人なんかは危ないですね。
一番ターゲットになりやすいです。
で、ご本尊は視野狭窄でせっかくの見方ですら悪鬼羅刹みたいに敵視する。
でもね、それだけ判断力を狂わせてしまう力があの子を亡くしたということに集約されてしまうのです。
ただ、個人差があるので、回復に関してはどうとは言えませんが、単に回復が遅いからと言って、甘えているのかというと、両方に分かれます。
甘えている人に共通することは、辛いのだからわかっておくれとキーワードを出しながら敵愾心を向けるだけで自分を甘やかせることしかない人。
甘えていない人は、影響の輪を直視して自分のその時の判断力、行動力などで最善を尽くしたことを自分に認めていく努力の道を選ぶ人。
この差はどこから来るのかというと、その人が持つセルフイメージなど様々な要因がかかわってきます。
だからと言って、どちらであってもいいんです。
その人が思い出す必要のあることは、あの子を愛して鬨を共にしたという事実が誰にも覆せない真実であること、あの子と思いは「この人」と選んでくれたからこその愛情表現となったことです。
それ故に、自分で自分を癒すしかないのが寒い現実ですが、受け止める、共感する、これらをしてくれる見方がいるならば、利用されてもいいのではないでしょうか。
あの子を愛しい家族として位置付けてしまうほどのお人よしなんですから。
そんな折に、その神様が自爆してめっきを剥がすと、あの野郎、だましやがった!なんて逆恨みもしてしまう痛い子が一番つらいご本尊という始末。
確かに逆恨みなんですよね。
共感したからと言って、神様仏様じゃないから、辛い人だけにいい顔だけを見せるなんて芸当は身内であってもつらいものです。
受け入れきれないことに対してその責任がさも自分にあるように感じる人なんかは危ないですね。
一番ターゲットになりやすいです。
で、ご本尊は視野狭窄でせっかくの見方ですら悪鬼羅刹みたいに敵視する。
でもね、それだけ判断力を狂わせてしまう力があの子を亡くしたということに集約されてしまうのです。
ただ、個人差があるので、回復に関してはどうとは言えませんが、単に回復が遅いからと言って、甘えているのかというと、両方に分かれます。
甘えている人に共通することは、辛いのだからわかっておくれとキーワードを出しながら敵愾心を向けるだけで自分を甘やかせることしかない人。
甘えていない人は、影響の輪を直視して自分のその時の判断力、行動力などで最善を尽くしたことを自分に認めていく努力の道を選ぶ人。
この差はどこから来るのかというと、その人が持つセルフイメージなど様々な要因がかかわってきます。
だからと言って、どちらであってもいいんです。
その人が思い出す必要のあることは、あの子を愛して鬨を共にしたという事実が誰にも覆せない真実であること、あの子と思いは「この人」と選んでくれたからこその愛情表現となったことです。
それ故に、自分で自分を癒すしかないのが寒い現実ですが、受け止める、共感する、これらをしてくれる見方がいるならば、利用されてもいいのではないでしょうか。
あの子を愛しい家族として位置付けてしまうほどのお人よしなんですから。
否定したければ否定すればいい
自分に責任をきちんと持っていたら、陥ることはないでしょう。
当然、他者とのかかわりの中で支障をきたすこともないでしょう。
そうした点からすれば、ペットロスにかかった人は痛い構ってチャンかもしれませんね。
ただ、亡くしものに対する意味を考えてみましょうか。
ペットロスの人からすれば、人生を共にした占有、家族なわけです。
理解しない人でもそのような存在の人をなくしたらどうなるでしょうか。
打ちひしがれると思いますがいかがでしょうか。
始まりにはパニック状態で周囲が見えないけれど、ある程度苦痛を味わううちに周囲を斜に構えてみています。
自分の幼さ、力不足を嘆く気持ちが強い分、普段通りに振る舞える人を羨ましく、時には恨めしく思います。
自分勝手ですよね。
ただ、自分勝手でもいいのではないでしょうか。
他人が評価したところで、一意見でしかないのです。
その評価に責任を取れるj人もいません。
会社などではスケールと最低のシステムが出来上がっているので、やはり個人に責任はないのです。
となると、大切なのは絆を結んだこと、思いを通じ併せて時間を共にしたことが事実であること、そう、あの子が愛したあなたがあなたであることではないでしょうか。
どんなに醜くたって、どんなに恥をかいたっていい。
それはなくしものへの鎮魂歌であり、あなたがアナとを取り戻す儀式に過ぎないからです。
あの子が愛したあなたに戻る。
あの子への弔いになり、はなむけになりませんか。
卑下する必要も無いのですから、あの子を偲ぶ時間を大切にしたらいいだけのことです。
絆も、愛情も否定できません。誰にも。
あの子を愛したのだと胸を張っていいのです。
あの子が愛してくれた事実は誰にも否定できないから。
当然、他者とのかかわりの中で支障をきたすこともないでしょう。
そうした点からすれば、ペットロスにかかった人は痛い構ってチャンかもしれませんね。
ただ、亡くしものに対する意味を考えてみましょうか。
ペットロスの人からすれば、人生を共にした占有、家族なわけです。
理解しない人でもそのような存在の人をなくしたらどうなるでしょうか。
打ちひしがれると思いますがいかがでしょうか。
始まりにはパニック状態で周囲が見えないけれど、ある程度苦痛を味わううちに周囲を斜に構えてみています。
自分の幼さ、力不足を嘆く気持ちが強い分、普段通りに振る舞える人を羨ましく、時には恨めしく思います。
自分勝手ですよね。
ただ、自分勝手でもいいのではないでしょうか。
他人が評価したところで、一意見でしかないのです。
その評価に責任を取れるj人もいません。
会社などではスケールと最低のシステムが出来上がっているので、やはり個人に責任はないのです。
となると、大切なのは絆を結んだこと、思いを通じ併せて時間を共にしたことが事実であること、そう、あの子が愛したあなたがあなたであることではないでしょうか。
どんなに醜くたって、どんなに恥をかいたっていい。
それはなくしものへの鎮魂歌であり、あなたがアナとを取り戻す儀式に過ぎないからです。
あの子が愛したあなたに戻る。
あの子への弔いになり、はなむけになりませんか。
卑下する必要も無いのですから、あの子を偲ぶ時間を大切にしたらいいだけのことです。
絆も、愛情も否定できません。誰にも。
あの子を愛したのだと胸を張っていいのです。
あの子が愛してくれた事実は誰にも否定できないから。
6月29日
明晰夢を見たいなぁ
あの子と楽しく過ごせるから
スピリチュアルもいいなぁ
あの子と直に触れ合えるから
僕は笑い、僕は泣く
僕は安らぎ、僕は悔やむ
どの様にしたら
あの子に会えるかな
考えあぐねているうちに
頬を濡らして目覚めた
会いたくて逢いたくて
あの子と楽しく過ごせるから
スピリチュアルもいいなぁ
あの子と直に触れ合えるから
僕は笑い、僕は泣く
僕は安らぎ、僕は悔やむ
どの様にしたら
あの子に会えるかな
考えあぐねているうちに
頬を濡らして目覚めた
会いたくて逢いたくて
求める詩が書けるなら
ブログネタ:100歳まで生きたい? 参加中ひとつのメルヘンは僕にとって聖域だ。
だからこの詩のように思いの丈を流れるようになれる書けるまで長生きしたい。
読んだら電撃を受けた
たったこれだけの言葉で
確実なメッセージが
明確なキーワードが
あると判っていて
読み解けない
志したあの頃を
思い返す度に思い出す
嫉妬と賛美と
羨望と称賛を
一度に感じて
諦めかけた思い出を
「ひとつのメルヘンに寄せて」
【EQLAIR】大切な人に教えたい。ちょっと驚く100歳まで生きるための7つの秘訣
痛いと分かっていなければ、心は閉じない
ある程度苦しんだら、傍から見ると理解できないから痛い奴として脳内処理されてしまうものです。
たしかに、自己憐憫に浸って自己感傷的だから痛い奴に見えても仕方ないんですよね。
でも、それで何かが汚されるわけでも、何かが否定されるわけではないのです。
他人の評価は相対的な他人の意見に過ぎないからです。
その評価に責任を持つ者もいませんよね。
したがって痛くたっていいんです。
あの子を偲べるのであれば、あなたはあの子との絆を信じているわけで、胸を引き裂く半面甘露のごとき思い出であの子を思い出すことができる……
あの子への愛を再確認できるのです。
それでいいではありませんか。
大切なのは、あの子があなたを選んで愛してくれた事実です。
理解できない連中には、勝手に自己満足に浸らせてあげましょう。
共感する人を見落とさなければ、大丈夫、あなたの価値は下がることはありません。
あの子が愛してくれたあなたでしかないということになります。
たしかに、自己憐憫に浸って自己感傷的だから痛い奴に見えても仕方ないんですよね。
でも、それで何かが汚されるわけでも、何かが否定されるわけではないのです。
他人の評価は相対的な他人の意見に過ぎないからです。
その評価に責任を持つ者もいませんよね。
したがって痛くたっていいんです。
あの子を偲べるのであれば、あなたはあの子との絆を信じているわけで、胸を引き裂く半面甘露のごとき思い出であの子を思い出すことができる……
あの子への愛を再確認できるのです。
それでいいではありませんか。
大切なのは、あの子があなたを選んで愛してくれた事実です。
理解できない連中には、勝手に自己満足に浸らせてあげましょう。
共感する人を見落とさなければ、大丈夫、あなたの価値は下がることはありません。
あの子が愛してくれたあなたでしかないということになります。
虹の橋
行けたらいいなと思えてしまう
古き友との再会の場
時ですら風化できない絆が
再開という奇跡を起こす奇跡の地
だから今日も夢に見る
明日もきっと夢に見る
絆を信じている限り
本当は詩のタイトルとしては芳しくないような気もするのですが……
たまには感傷に浸りたいから思わず選んだタイトルでした。
どうやったら会えるかなと考えてしまうもんで、自嘲しながら本音を吐きだしてみました。
そうしたら久しぶりにタイトルがついたのですが(苦笑)
古き友との再会の場
時ですら風化できない絆が
再開という奇跡を起こす奇跡の地
だから今日も夢に見る
明日もきっと夢に見る
絆を信じている限り
本当は詩のタイトルとしては芳しくないような気もするのですが……
たまには感傷に浸りたいから思わず選んだタイトルでした。
どうやったら会えるかなと考えてしまうもんで、自嘲しながら本音を吐きだしてみました。
そうしたら久しぶりにタイトルがついたのですが(苦笑)
