寂しいコト、言わないで。 | のほほんワーカーの日常。

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難病障害があるので福祉の支援を受けながら、福祉のお仕事をしています。

いつなくなってもおかしくない患者さんが何人かいます。

その中で、長いこと関わっている患者さんがいます。

透析の患者さんです。


透析を始めると、生活自体が透析中心へと変わっていきます。

週3回の通院(半日かかります)、食事内容、沢山の制限のある生活をしなければなりません。

透析を始めるということは、休むことも許されないし、そこからの脱却はほぼありません。


そして透析を始めることで、同じ境遇の患者さんと巡り会うことになり、長いコト付き合うことになります。

それがどういうコトを意味するかというと、①「自分のことを解ってくれる仲間ができる」

そして自分の将来を他の患者さんを通じて何度も見せつけられる」といコトがあります。

普通なら知らなくても良いことを、気付かないだろうコトを日々見せつけられているのです。

(それは良い面もあれば、悪い面もあります)



入院の度に死への一歩が近づいていた患者さんがいました。

多分本人もそれが解っていました。

十分すぎるぐらいに。

ある時から自分の将来が解ってしまっただけに、制限のある生活を捨ててしまいました。

ただでさえゆっくりと下り坂に差し掛かっていた患者さん、

自分で見切りを付けてからは坂道を転げ落ちる様なスピードになっています。

でも、それを後悔していました。

「こんな自分は地獄しかまってないよな・・・」と。


私はかける言葉が見つからず、じっとそばで患者さんの語りを聴いていました。

私も患者さんも知っています。

「良くなる」コトはないことを。

だから、じっと聴いていました。

「待っているのは地獄なんだろうか?」と問いました。

「私にはそう思えない」と伝え、出会ってからのコトを振り返りました。

そしてまたじっと耳を傾けていました。


笑顔が素敵な人です。

呆れるぐらい脳天気な方です。

エヘヘと笑うその笑顔が大好きです。

ちょっとしたことで、エヘヘと笑うのです。

でもある時から、笑顔が消えてしまっていました。

この話を聴いた瞬間、何とか素敵な笑顔と再会できないかと思ったのです。

この時の患者さんは、患者さんらしさを失っていたように思えてなりませんでした。

だからこそ、笑顔の患者さんと再会したくてたまらないのです。