季節柄、「あんぽ柿食べたいなぁ…」という話から…
『あんぽ柿』1個の価格が、秀品だと400〜500円と聞いて、
「高い」と感じますか?
それとも「安い」と感じますか?
はたまた「妥当」と感じますか?
その高い、安い、妥当、という判断(価値)基準がどこからきているのでしょうか。
『あんぽ柿』を例にすれば、これが食べ物として手に入るまでに投じられた〝手間〟が適正に評価されているのか、また、これに関わった人々に満足のいく報酬が分配されるに十分な価格なのか、それに対しての品質が保たれているのか、それらに照らして「高い」、「安い」、「妥当」の判断をするのが本来の形だと思いませんか。
これは物品に限ったことではなく、情報やサービスといった無形のものにも言えることは言わずもがなです。
実際はどうでしょうか?
僕も含めて、ここで論じたような本来の形ではなく、自分のお金が減ることに対して、高い(=たくさんのお金が失われる)、安い(=あまりお金が失われずに済む)と感じ(判断し)ていはしないでしょうか。
しかも、無意識、反射的に、です。
これが、怖いんです。
私たち一人ひとりが〝正常な感覚〟を取り戻していくことから、〝持続可能な〟世界が創造されていくのではないでしょうか。
ちなみに、テレビや日常会話の中でよく聞かれる「リーズナブル(=reasonable)」という言葉。
日本においては、「お得な」とか、「安い」といったニュアンスで使われているように感じますが、本来の意味は「納得がいく」とか、「適正な」という言葉のようです。