佐方小学校を卒業してから8年目。
僕は広島商船高等専門学校航海学科の実習生として、航海訓練所練習船に乗船していた。
乗り出しに選んだのは日本丸だった。
練習船では、日本の港を回りながら訓練、実習をする。
その年の寄港スケジュールは、乗船して初めて知ることになる。
寄港地では、係船した状態で帆を展げる総帆展帆(セイルドリル)や、船内の一般公開などを行なって、当地の記念事業に華を添えたり、船舶職員養成に対する啓蒙、広報活動を担う。
奇しくも、その年は広島港築港100周年にあたり、処女航海となる海王丸ではなく、日本丸が招聘を受けていた。
そのことを知って、すぐに僕は湯田先生に「日本丸寄港の際は、是非お越しください」と、ハガキを出した。
僕は実習に取り組む姿をもって、
「先生のお陰で強くなれました」と伝えたかった。
当日、湯田先生は奥様を同伴され、僕を訪ねてきてくださった。
「立派になったな」と、声を掛けてくださった。
出会った当時は、〝ぜん息持ちで引っ込み思案のヘタレ虫〟だった僕の10年後の姿は、先生の目にどのように映っただろうか…。
その数年後、湯田先生は他界された為、それが唯一の恩返しとなった。