人生を変えてくれた湯田先生④ 〜唯一できた恩返し〜 | かいほう塾ブログ 〜世界に一つの自分らしい生き方を選択する〜

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『人生の目覚まし時計』が鳴った五十路男子がチャレンジする〝気が楽になる〟という自分の羅針盤(直観)に従って、身体・心・ライフスタイルを整え、自分が望む現実を創造する生き方の実践記

佐方小学校を卒業してから8年目。


僕は広島商船高等専門学校航海学科の実習生として、航海訓練所練習船に乗船していた。



乗り出しに選んだのは日本丸だった。



練習船では、日本の港を回りながら訓練、実習をする。



その年の寄港スケジュールは、乗船して初めて知ることになる。



寄港地では、係船した状態で帆を展げる総帆展帆(セイルドリル)や、船内の一般公開などを行なって、当地の記念事業に華を添えたり、船舶職員養成に対する啓蒙、広報活動を担う。



奇しくも、その年は広島港築港100周年にあたり、処女航海となる海王丸ではなく、日本丸が招聘を受けていた。



そのことを知って、すぐに僕は湯田先生に「日本丸寄港の際は、是非お越しください」と、ハガキを出した。


僕は実習に取り組む姿をもって、



「先生のお陰で強くなれました」と伝えたかった。






当日、湯田先生は奥様を同伴され、僕を訪ねてきてくださった。



「立派になったな」と、声を掛けてくださった。



出会った当時は、〝ぜん息持ちで引っ込み思案のヘタレ虫〟だった僕の10年後の姿は、先生の目にどのように映っただろうか





その数年後、湯田先生は他界された為、それが唯一の恩返しとなった。