遺言信託とは、法律上は前に信託の成立のところで述べた遺言による信託をいいますが、信託会社の業務としては、信託業法で認められている信託の付随業務のうち財産に関する遺言の執行を含めた広い意味で用いられることがあります。遺言信託も遺言の執行もアメリカの個人信託業務では古くから主要業務として発展してきていまナ。わが国では、遺言信託については信託法制定当初から、遺言の執行については昭和四年の信託業法の改正のときから取り扱うことができたわけですが、どちらも最近までたいした発展をみていませんでした。


ところが、近年、古い家族制度の名残りが消えてきて個人主義、平等主義の傾向が強まり、相続をめぐる争いが増えてきたことや、個人資産の形成が進み、信託会社に遺言や相続について相談にくるケースが増えてきたため、信託会社も遺言の執行業務などに力を入れるようになりました。また、相続に関係するものとして、遺産整理業務があります。これは、相続の手続きは遺産の清算・分配、相続税の申告と大変手間がかかりますので、相続人の依頼により財産の専門家である信託会社が、財産の整理・清算に関する付随業務の一つとして取り扱っているものです。


財産に関する遺言の執行は、遺言者が財産に関する遺言、相続人に対する遺産の分配、第三者に対する遺贈などをし、その遺言書の中で信託会社を遺言執行者に指定しておき、あわせてその遺言書を信託会社に保管してもらいます。そして、遺言者が死亡して遺言の効力が発生したときに、信託会社が遺言執行者となって遺言書通りに遺産を整理・分配し、遺言者の遺志を実現しようというものです。


遺言書の作成にあたっては、遺言者の意思が完全に実現できるよう事前に十分に協議し、安全でしかも執行手続きにスムーズに入りやすい公正証書遺言を作ってもらうのが一般的です。この場合、証人が二人以上必要ですので、通常、信託会社の相談員が一人ないし二人立会います。こうしてできた遺言書を信託会社が厳重に保管し、遺言者の生存中は財産や相続人、受遺者の異動を遺言者とチェックして遺言を有効に保ちます。


そして遺言者が死亡すると信託会社は遺言執行者に就任し、財産目録を作成して相続人に交付し、債権の取り立てや債務の弁済、遺贈の履行などの遺言の執行に必要な事務を行います。遺言の執行が終了すると、相続人にそのてん末報告をして職務も完了することになります。遺言の執行は、このように遺言者の全幅の信頼のもとに財務管理機能を存分に活用して行うもので、信託会社にふさわしい業務といえます。なお、わが国では遺言執行者は相続人の代理人とされていまナが、イギリスやアメリカでは信託受託者あるいは類似のものとされています。

私がバークレーでサーヴェイーリサーチの方法を学んだのはラザースフェルドの弟子であった。グロク論は単純明快でなければならないと言う言葉を繰り返していた。確かにクロックの著作は単純明快な仮説を、検証するという仕事が多かった。あるときアメリカの宗教に関するグロクの著作について学会誌に、「理解が単純すぎる」という批判がでた。その直後に軽率にも学生の一人が教室で、グロクの仮説を「単純すぎる」と批判したものである。


するとふだん穏やかなクロックが、めずらしくキッとして「様々な現象を単純な原理で説明できれば、それが理論としては最高のものだ」と述べた。おそらくクロックは「理論は単純でなければならない」という師のラザースフェルドの意見を、実践しようと努力してきたのであろう。そしてラザースフェルド自身も数量的方法(quantitative method)を使用して、複雑な社会的現象を、単純な原理で説明するという夢を抱いて、サーヴェイーリサーチの方法を開発したのであろう。


さてそれではラザースフェルドが一九四〇年代に開発したサーヴェイーリサーチとは、そもそもどんな方法だったのであろうか。その方法はそれまでにアメリカで発達した世論調査法と、因果関係の推論法とを融合させた方法であった。そこでここではまず世論調査法の発達の歴史を、振り返ってみる必要があるだろう。世論調査の方法は主として標本抽出法(sampling method)の改良とともに、発達してきたといえる。


たとえばアメリカにおける大統領選挙の予測の歴史を見ると、一九二〇年から三二年までの選挙は、リテラリー・ダイジェストにterary Digestの世論調査が、大過なく次期大統領の予測に成功してきた。しかし一九三六年、フランクリンールーズペルトとアルフレッドーランドンが大統領のいすを争った選挙のとき、旧来のリテラリー・ダイジェストの予測に反して、ルーズベルトが実に得票率二四パーセントの大差でランドを破って当選したのである。


このときリテラリー・ダイジェストを破ってルーズベルトの当選を正確に予測したのが、有名なジョージーギゴフトフ(George Gallup 1901)の世論調査であった。旧来の方式は電話帳と自動車登録簿とをもとにして、調査のサンプルを選び出していた。ところが一九三六年の大統領選挙では、電話も自動車も持たない低所得層の大部分が、ルーズベルトに投票したのである。そのため電話帳と自動車登録簿に頼っていた、リテラリー・ダイジェストの洞査は、ルーズベルトの当選を予測しそこなったのであった。


このときギャラテフが使用した方法は有権者人口の特徴の分布に従ってサンプルを選ぶ、割り当てサンプル(quota sample)であった。ギャラップのサンプルはそのため、全有権者の分布に従って、低所得層を含んでいたために、旧来の方法を破ることができたのである。この一九三六年の選挙のとき、リテラリー・ダイジェストは、実に二百万の意見を郵送法で集めたと言われる。これに対してギャラップの「割り当てサンプル」はわずか三〇〇〇人の有権者しか含んでいなかった。

もし彼女のいう通りなら、議会政治にとって全く由々しいことである。単比党内が官僚化するだけでなく、ヨーロッパ規模でも官僚化が行なわれる。官僚的な決意や判断はヨーロッパ全体に通用する一般性をもっているが、常識は極めて地域的であり、地域外への通用性に欠けている。一例をあげれば、英国女王に対してどう振舞うかについては英国人の間に常識があるが、その常識や常識に基づく価値観はフランス人には通用しない。支配するのは理論であり、官僚制のロジックである。理論がその国の常識に合致すればよいが、非常識な理論にも常識は屈伏しなければならないのか。そして一度シビリアン・コントロールを失うなら、政治業が果して職業として成り立ちうるのか。政治業を天職と信じて政治家になった彼女がヨーロッパ合衆国案を不倶戴天の敵と考えるのは、こういう理由にもよる。

しかしこのような趨勢に抗して、政治家が彼ら自身の地位を損うことなく維持するには、政治家自身が官僚や党官僚に太刀打ちできるよう、勉強する以外に方法はない。けれども多くの人は、政治家自身も含めて、政治家にはあまり学問は必要でないと考えている。ウェーバーですら、政治家に必要な要素として、情熱と責任感と平衡感覚をあげ、学問を重要な要素と考えていない。これでは官僚や、党調査部で働くエコノメトリシャンを指揮できないことは明白である。政治家がどの程度教育されているかは、彼らによって支配される一般人民にとってだけでなく、彼ら自身にとっても重要であるのに、現実の政治家はほとんど専門的訓練を受けていない。特に日本の政治家は、この点で明白に、非常に劣っている。

なるほど、日本の大学にも法学部に政治学科があるが、経済学部が会社員の養成所の役割を果している程度には、政治学科は政治家を養成していない。政治学科が主として養成しているのは、官僚であり、政治家には、政治好きの地方の名望家や政治家の子供が、専門的知識を持たずになっているのである。彼らは政府の審議会や議会の委員会の委員になって、見よう見まねで経験から勉強しているに過ぎない。

日本の政治家教育が国際的に劣っているならば、国際会議で日本の政治家が活躍できないのは当然である。日本では雄弁家、よい内容の話をするかどうかと切り離した、節廻しの術に長けているというだけの意味であることが政治家にとって大切な資質だと考えられているが、これは誤った考えである。雄弁術は大切でない。特に国際会議ではそうである。日本語の節廻しにどれほど優れていても、それは外国人を魅了しない。大切なのは討論術である。討論できるためには知識がなければならず、一つ一つ筋道立てて論理を追う力がなければならない。この点で日本の政治家は決定的に劣っており、論理的に話せないから、日本人は不可解だ、日本人は特殊だといわれる。特に信条が異なっている場合にはそうである。

信条や心情の異なる人を説得するには、特にすぐれた説得術が必要である。物と物との交換の場合には、物を見て、品物がよいことがわかると、無言でも取引きされるが、政治の場合には、まず説明しなければならない。しかも万国共通、階級をこえた一般的な言葉で説得できねばならない。したがって政治家は論理に優れている必要がある。サッチャーからメージャーへの首相交替は、本章での政党論にそぐわないであろう。サッチャーが政治的に行き詰まって、党内の反対者によって首相の地位から降ろされたのだから、その段階で内閣は総辞職し、総選挙を行なうべきであった。このことは、すでに述べたように、キックによって主張されたのだが、彼の動議は保守党多数の議会を通らなかった。