日本側では、米国はすでに大幅な債務超過国となっており、これが改善に向かわない限り、米ドルに対する信認が崩れるおそれが大きいと論じられており、欧州にもこれに同調するものが少なくない。しかし、米国側では、中南米諸国、ベトナムを含む旧共産圏諸国等、米ドル建の預金や紙幣を保有することをいとわない、つまり、米国の債務超過ポジションをファイナンスすることをいとわない国家、企業、個人等が多数存在することなどから、債務超過ポジションが直ちに米ドルヘの信認崩壊に結びつくことはないとみている。東アジアの諸国の場合、米ドル相場の動きいかんによっては、円などヘシフトする動きをみせているが、基本的には、いまだに米ドル依存体制を崩していない。


現在、米・独・日の三大通貨国の通貨当局は、いずれも、それぞれが国内経済の安定化につとめれば、いずれは世界経済が安定するという、自国本位の「経済主義」的立場をとっており、自国の経済や金融・資本市場が極度に不安定化しない限り、為替相場安定のためだけにはマクロ経済政策を発動したくない、という考え方である。つまり、右の第一点では、わが国は孤立し、第二点では、米国と意見を異にしている。また、第三点については、わが国でも、政界、経済界、世論はともかく、通貨当局自身は最近まで、市場介入以外の政策行動の上では、米・独両国同様の「現状放任」(ベナイソーネグレクト)という立場に近く、これでは、円高に対して、国際的にもほぼ無策といわれても仕方のない状況であった。


幸いにして、九五年七月上旬以降、米・日・独三ヵ国の金融緩和を背景に、為替市場でも協調介入が行われ、超円高は急速に修正されている。しかし、これは米・独両国の通貨当局が米ドルの全面安を恐れたからではないであろう。両国がそれぞれの国内的理由から九五年前半の過度のドル安(マルク高)の是正を望んだという事情のほかに、最近のような超円高が続いたのでは、世界経済の要の一つである日本経済がいっそう弱体化し、その国際的影響が懸念されたからではないだろうか。わが国としては、今回の超円高是正の機会を無駄にせず、ここで抜本的な景気対策と構造改革策を打ち出すことがまさに急務である。万一、当面の円安に安住して、また輸出主導型の経済運営に戻るようなことがあれば、再び超円高を繰り返すだけとなろう。


第二次大戦後一九九六年までの円相場観の変遷を通観すると、少なくとも次の次の点が指摘される。当初の二〇年余りの間、わが国は、円の切下げに訴えずに国際収支の赤字を克服し続けた。しかし、その後は、わが国の輸出競争力の向上、過剰貯蓄の拡大、重商主義的政策や制度の温存等に起因する経常黒字の累増を背景に、円相場がおおむね上昇傾向を辿ったのに対して、当局も業界も円安を選好しようとする傾向が強く、円高メリットの積極的受入れが遅れがちとなった。このため、輸出主導型の政策運営や企業経営が必要以上に維持され、それが円高の行き過ぎを招くという悪循環を生じた。

収入が減り始めても、さしあたり必要なモノと貯金があるために何とか切り詰めていれば生きてはゆけるが、将来の雇用リストラや年金制度の動揺に不安を感じている、というものである。調査結果に基づけば、半分(四九パーセント)の人が過去一年間の収入は横ばいと答え、約三分の一 (三三パーセント)の人が収入が減っていると答えたうえで、八二パーセントもの人々が、将来失業したり収入が大幅に下落する可能性を感じていると言う。具体的な設問は、「あなたやあなたの家族が今後、仕事を失ったり、収入が大幅に減ったりする不安を、どの程度感じていますか」というものである。答えは、「大いに感じている」が三七パーセント、「少しは感じている」が四五パーセント、合せて八二パーセントである。


では、人々はどのような政策が必要であると考えているのか。「将来の不安を解消するために必要な政策は何か」という問いに対して、政府や主流経済学者たちの政策的主張である「減税」と答えた人はわずか一三パーセント、「財政赤字の解消」も二一パーセントであったのに対して、「福祉や年金制度の整備」が三六パーセント、「雇用の安定」が三五パーセントで合計すると七一パーセントに上っている。以上の結果は、新たに買うべき大量生産されたモノがなくなって経済が成熟段階に入る一方で、雇用不安や年金制度の動揺がデフレの悪循環を生み出していることを示唆している。だとすれば、デフレスパイラルを断ち切る政策メニューも、自ずから決まってくる。


まず最初に、雇用の安定が必要だろう。この点から見れば、労働者派遣法の改正や経済戦略会議の言う「能力開発バウチャー」といった雇用流動化政策は、むしろ逆効果である。正規雇用ではなく有期契約雇用を拡大してゆけば、雇用不安を強めてゆくだけだからである。しかも、こうした政策は、アメリカをモデルとしているが、当のアメリカでも必ずしも成功したとは言えない。さらに言えば、その非体系的な導入は社会に破壊的影響を及ぼすだろう。


実際、アメリカにおける雇用流動化政策は所得分配を悪化させている。人口のわずか数パーセントの資産所有者が国民所得の半分近くを所有するようになる一方で、この間、一貫して一人当たり実質賃金は低下傾向にあり、多くの世帯は夫婦共稼ぎでかろうじて生計を成り立たせている。しかも、その多くは不安定就業層であり、黒人・ヒスパニックと白人の間の所得格差は着実に拡大している。

郷鎮企業の登場によって「農業と近代産業とのあいだの二元的な循環が突破されはじめ。相互に交流し、相互に促進するというよろこぶべき局面があらわれた」という、中国経済学者の表現は、的確である。郷鎮企業は、「強蓄積」メカニズムのもとで中国が整備しそこねてきた農工間の連関を創出し。中国経済をひとつの有機体たらしめる重要な役割を演じている。


人民公社制度により農業余剰を権力的に搾り取り、これを重工業投資にふり向けることによって形成されてきた強蓄積メカニズムと、それに由来する歪んだ二重構造を是正する契機が、ここに生成したのである。一九七八年の第一一期三中総の決定以降における右に述べてきた中国経済の動態が、その蓄積メカニズムにどのような変化を与えたのかを、いくつかのマクロ指標のなかに観察してみよう。


第一次五ヵ年計画の開始以来、中国の蓄積メカニズムの起点にあったのは、なんども指摘してきたように、食料の低価格強制買付けならびにシェーレを通じての農業余剰の国家吸引であった。しかし前者は、一九七八年以降の国家食料買上価格の引上げならびに強制買付の量と品目の減少を通じて、その機能は明らかに弱まった。後者のシェーレはどうか。


現在における「企業収入」が国営工商業部門の利潤上納部分である。これと工商税収を合わせた分か、同図にみられるように第一次計画以来、一九七八年まで国家財政収入のほとんどを占めてきた。これが、シェーレを通じて国家に移転された農業余剰を「体系化」したものであったことは、すでに示唆した通りである。ところで、この上納利潤と工商税収の合計が財政収入総額に占める比率は、一九七九年以降にわかに減少を開始していることがわかる。その減少は明らかに企業上納利潤の急減に由来する。


企業上納利潤の減少は、一九七九年以来の経済体制改革の過程で進められた企業自主権拡大の帰結である。国営企業利潤の一定比率を企業内に留保させる「利潤留成」、さらには上納利潤額を事前に設定してこれを企業に請け負わせる「利潤請負」を経て、一九八四年以降、利潤上納を納税制に全面的にきりかえる「利改税」が採用された。企業収入項目の急落傾向は、なによりもその帰結である。対照的に、工商税収はそのシェアを高めた。