ヨーロッパはECの経済統合のルールを検討しながら、実質的には二一世紀の世界経済の交通ルールを書いているのだ。「経済」という名のアウトバーンにどんな乗り物を走らせるか、世界貿易の拡大に向かう信号は青なのか赤なのか黄なのか、決めるのはヨーロッパの国々だ。「市場経済に移行し、国民の生活水準をすみやかに引き上げる」という目標に、東欧の旧共産主義諸国が一国残らず到達できるとは思われない。到達できる国が何力国になるかは、外からどれくらいの援助がさしのべられるかにかかっている。


日本とアメリカは、援助を見送る可能性がある。日本はアジアから共産主義が消滅する日のために資金を蓄えておきたいと考えるかもしれないし、アメリカは自国の経済が火の車なのにヨーロッパを援助するなんてとんでもないと思っているかもしれない(ほんとうは、アメリカの現在の実質GNPはマーシャループランを実施した頃の四倍もある)。あるいは、アメリカは昔から東欧にはあまり関心がなかったから、今回も同じように無関心かもしれない。


結局のところ、西欧誘国が援助するしかないだろう。西側への大量移民を防ぎ、国境地帯の緊張を緩和し、民族間の争いを収拾するには、東欧諸国の経済を上向かせる以外に方法はない。第二次世界大戦後、利他主義とロシアの軍事的脅威がいっしょになってマーシャループランを生み出した。今日、利他主義と隣接地域の混乱の脅威がいっしょになって、東欧向けにマーシャループランと同じような救済策か実施されることになるだろう。


統合にあたって、ヨーロッパはマクベスが聞いたのと同じ忠告を聞くべきだろう。「やってしまって、それで事が済むものなら、早くやってしまったほうがよい」世界経済をブリューゲルの絵にたとえるとしたら、全体の構図を決めるのはヨーロッパだ。ヨーロッパが世界貿易のルールを決め、ヨーロッパが世界最大の経済市場を作り、ヨーロッパが共産主義経済から資本主義経済への移行を進める。だが、ブリューゲルをブリューゲルたらしめている細密部の描込みをするのは、日本だ。こうしてできあがったブリューゲルを眺めてみると、目の良い人なら、日本人か細密に描き込んだ部分だけは水が上向きに流れているのに気がつくだろう。


引力の法則を信している人が水が上向きに流れるのを見れば、根本的な思考回路に支障をきたすだろう。理論や過去の経験と矛盾する事実を目の前にして、どう解釈すればよいやら途方にくれるばかりだ。ほとんどの人間は、容易に自分の考えを変えようとはしない。自分に理解できる理屈と相容れない事実の存在を無視し、いずれ何かの拍子にその事実かパッと消えてなくなる日を待つ。あるいは、たいして重要な矛盾ではないと高をくくる。だが、そうした事実がいつまで待っても消えずにこちらを痛めつけてくる(たとえば、危機的状況を招来する)場合には、どうしても目の前の根本的な矛盾と向き合わざるをえなくなる。

国を代表する企業が国有化によって蘇ったという事例は、そもそも歴史上少ないのではないか。自動車産業の例で言えば、イギリスで一九七五年にブリティッシュレイランドという同国最大の自動車メーカーが国有化された。オイルショック後の経済の大混乱の中で、時の労働党政権が国の重工業の危機として国有化したのである。現在のオバマ政権が民主党政権で労働組合を支持基盤としていることと重なり合う。しかし、国有化の三年後、ブリティッシュレイランドは社名をBLカーズと変え、再民営化とブランドごとの売却への道を走り始める。一つの企業としての蘇生はなかったのである。そしてブリティッシュレイランドが持っていたさまざまなブランドは現在、ジャガーとローバーはインドのタタモーターズに、MG、オースチンやモーリスなどは中国の南京汽車に、トライアンフなどはBMWに、と移っている。


じつはアメリカの甘えの時代は一〇年間だけでなく、二〇年間近く続いていたという解釈もできる。ツ連邦の崩壊と日本の、バブルの崩壊が起きた一九九一年から数えれば二〇年近く、アメリカ一国覇権と市場原理主義的グローバリズムの時代が続いてきたのである。しかし、その途中で、じつは大きな警報が一度は鳴っている。二〇〇一年である。この年、ITバブルが崩壊し、そして世界貿易センタービルへのイスラム原理主義者によるテロも起きたのである。私は当時のプレジデント誌に、「このビルの崩壊がベルリンの壁の崩壊に重なって見えた」と書いている。一つの時代の終わりを感じたからである。


そして、その頃書いた別の書物で、「二〇〇一年九月一一日は、人間社会の悲鳴あるいはその警告と受け止めるべきかもしれない。それは、決してアメリカ一国への警告ではなく、市場経済諸国全体に対する警告かもしれない」とも書いた。しかし、世界は、そしてアメリカは、この警告にきちんと対応しなかったようだ。それどころか、アメリカはイラク戦争にすら乗り出した。うまり、警報が鳴った後でさらに一〇年近くを同じ「甘え」の中で過ごしたかに見える。甘えの二〇年の後に来る、失われた一〇年。すでに九・五%にまで急上昇したアメリカの失業率が、いくらなんでも大恐慌当時の二五%にまではならないだろうし、GDPが四割も縮むこともないだろう。しかし、アメリカにとって長い低迷の時代にならざるを得ないのではないか。


九月一一日が再びやってきた。世界中の多くの人が同時に一つのテレビ映像を繰り返し見続けた事件というのはそれほど多くないだろうが、一九六三年一一月二三日のケネディ大統領暗殺と二〇〇一年九月一一日の世界貿易センタービル崩壊の映像は、その数少ないリストに間違いなく入るだろう。私自身も、その二つの日を明瞭に記憶している。八年前のその日、関東地方には台風が来ていた。私は窓の外の激しい風雨を気にしながら、あの超高層ビルにジャンボジェットが突っ込むという信じがたい映像を見ていた。私の甥があのビルで働いていたのである。


その後、同時多発テロはイスラム過激派によるアメリカ支配への抗議であったことを知ったとき、私には世界貿易センタービルの崩壊の映像がベルリンの壁の崩壊の映像に重なりあうように思えた。ともに、一つの時代の終わりの象徴なのではないか。一九八九年一一月のベルリンの壁の崩壊は、共産主義体制の時代の終わり、米ソ対立の冷戦の時代の終わりの象徴であった。と同時に、資本王義の勝利の時代、アメリカ一国覇権の時代の始まりをも意味していた。そして、世界貿易センタービルの崩壊は、アメリカ一国覇権のグローバリゼーションの時代が早くも頓挫し始めていることの象徴に見えたのである。

今から数年前になるが、NHKテレビのドキュメソタリー番組に、アメリカの著名なジャーナリストのデイビッドーハルバースタムが出てきて話すことを聞いてたいへん興味を惹かれた。彼は、世界を支配してきたアメリカの基幹産業の自動車が、なぜ日本車との競争に負けたのかということについて、次のような原因を挙げている。


まず自動車会社というものは、巨額の資金がいるのでなかなか強い競争相手ができず、これまでフォードとクライスラーとゼネラルモーターズのビッグースリーがデトロイトで自動車市場を抑えてきた。そうなると競争相手は増えないから、このビッグースリーによる独占的体制が成立した。そこで技術革新が停滞した。


ともかく今自動車はどんどん売れているではないか。だから、金のかかることはできるだけやらない、古いエンジンで済まそう。誰かが新しいことをやろうとする場合には、最初は絶対新しいことをやってはいかん、どこかがやったら、それが成功するのをみとどけてから初めてやれという形で、いわゆるイノベーションというものに消極的になった。


そして、いかにしていい自動車を作るかということよりも、いかにしてもうかる自動車を作るかということが重視されるようになった。そこでただ自動車が好きで、いい自動車を作っていくことに情熱を燃やしている現場の自動車野郎がだんだん力がなくなってきて、経営陣、いわゆる財務担当の理事が力をもつようになってきた。


こうして作る人たちの意見が経営に反映されなくなり、デトロイトは数字には強くても車を愛していない人たちが経営を握るようになってきた。つまり、自動車会社の目的は、いかに消費者の必要性に合った自動車を作るかということよりも、いかに外見的に見映えがよくて、しかも利益率のいいものを作るかということに置かれるようになった。